裁判員と徴兵制

 「裁判員は徴兵制復活への布石」といわれている。こういうのは,ちょっと煽りスローガンぽくて,私的センスでは嫌なのだが,しかし,裁判員と徴兵とは確かに類似している面がある。

1 民衆が国家権力の一翼を担わされる。
 「戦争」「裁判」は一番峻烈な国家権力作用である。統治主体???
2 国家の名において,人を殺す。
 「戦争」による「敵兵の殺戮」と「裁判」による「死刑」はどちらも「国家の名による最大の暴力」である。違法性はないとされているが・・・。
3 義務・神聖なる権利
 徴兵は,明治憲法下において,「臣民の義務であると同時に栄光ある権利である。」とされていた。この思想は,佐藤幸治・四宮啓らが「裁判員イデオロギー的基礎」として口にする「統治主体」とどれほどの違いがあるのだろうか?
 
 最近ある人と会話して,「4」を着想した。「場合によっては殺される」ということである。
4 殺されても文句は言えない
(1) 兵隊は,運が悪いと敵から殺されてしまう。裁判員も,敵(被告人や関係者)から殺されてしまうことはあり得ることだろう。

(2) 兵隊は,戦争体験のトラウマを一生引きずる。精神的には瀕死といって良かろう。同じように,裁判員は,法廷体験のトラウマを一生引きずる。

4−1
 徴兵で殺されたり,傷ついた人は,後日国家から手厚く保護される。国立墓地に埋葬されたり○○神社の「神」とされたり・・・。軍人恩給ももらえる。これに反し,裁判員には同様の補償はない。そうすると,徴兵制より,裁判員制の方が,「犠牲者に対する配慮に欠ける」という結論になろう。