外国人の刑事弁護(ホセ・ヤギ被告人の公判)

ホセ・ヤギ被告人の第1回公判が報道されたので少し書いてみる。

私も,数年前,南米某国人の国選弁護を受けたことがあった。この人も接見に行ったとたん,母国語の聖書の差し入れを求めた。
通訳人を通じて,教派名を聴いたのだが,「キリスト・クリスチャン」というだけで,(チャーチオブクライストかなともっ思ったけど←英米語で,「私はクリスチャンだ」というのは「チャーチオブクライスト信徒」を意味することが多い←教派は? と言う質問での答えの場合は,特に。)「自分たちは,キリストと直結している」という神学的理解が困難(万人祭司?)なことを繰り返すので,「ローマ・カトリックでない」ということが分かった程度であった。
(余談 ローマ・カトリック信徒は,「自分はクリスチャンです」とは,まず言わない。ほとんどが「カトリック」と答える。プロテスタントの場合「自分はクリスチャンです」という。「プロテスタント」です,というのは,「新教か旧教か」と問われた場合だけであろう。カトリック信徒が「ローマ・カトリックです」と自己紹介することはまずないし,ましてや「ローマ教会」と言うことは絶対と言っていいほどない。しかし,あるナイジェリア人は,私が「教派は?」と聞いたら「ローマ」と答えた。ナイジェリアの宗教事情は複雑なので,この答えは,彼の「宗教的教養の高さ」,「相対的思考」が感じ取れた。それから,インターホン越し・玄関越しで「私はクリスチャンですが」と言われたら,ほぼ100%エホバの商人と考えて良い。<ホワイトシャツを着て自転車に乗っている白人から,<あーなたは神を信じますか>と声をかけられたら,まず間違いなくモルモン教である。ちなみに私はルター派だが,ピタッと来る「想定問答」はない。言動が煮え切らなかったり,酒やタバコが好きだったり,「この世とあの世は別だから」と詭弁を弄したりしたら「ルター派」と高度の蓋然性で推認される−相当目が肥えてないと識別できない−。
私はカルヴァン派だが十字架を差し入れてほしいと言われて「磔刑の十字架を入れたら,たぶん解任される。正教徒にローマ教会の十字架を差し入れたら,これも信頼関係の破壊をもたらす可能性が強い。十字の切り方を間違えると同様の可能性がある。ところがプロテスタントの私にとってはローマ教会と正教会の十字架の区別が付きにくい←最近老眼が始まった。そのうえ,地図が読めない男なのかも知れないが「右」と「左」の異動を瞬時に判断できず,原・被告席を間違えて座ってしまうことが時々ある)


なぜ私がクリスチャンの被告人の「教派」にこだわるかというと,それによって,被告人の心情(公訴事実を信仰上どう位置づけているか),更生の方途,被告人に必要な差入物がだいたい分かるからである。その後,ボランティアで南米出身の神父様が,通訳人になったのだが,「南米でも○○あたり(被告人の出身国)は,キリスト教新興宗教が多いんですよ」ということだった。
差入物には困った。最初に持っていった母国語聖書(ボランティアからの献品)は気に入らないというので,アマゾンを通じて,母国語聖書2冊を買って差し入れた。そうしたら,「難しくて分からない」と言う。確かに,どちらも,注釈が沢山付いていたので,研究者用の聖書だったのだろう。ボランティアの神父様の私室に母国語のオッセルバトーレロマーノがあったので,「これを差し入れてやろうか」と冗談を言い合った。
英語で手紙を書いたら,留置管理官から「英語が読めないと泣いている」という電話が来る。被告人は英語はしゃべれるのだが,読み書きはできないのだ(日本人と逆)。留置管理官に「読んで聴かせてやってくれ」とお願いしたら,「内の署でそういう能力のある人はいません。接見に来てくれませんか」という。
「自殺防止(南米人は孤独に弱い)」の目的もあり,国選なのに,接見は10回近くになっった。そのうえ,聖書2冊の代金は弁護人持ちで,国選費用は約8万円,大赤字であった。
ホセ被告人の法廷での言動は,キリスト教的な言葉が非常に目立ったが,全体として,ペンテコステ・カリスマ派(しかもかなり極端な)の色彩が強いような気がする(正統的な教会か,新興宗教かは分からない)。少なくとも,ローマ・カトリック的な色彩はない。彼の宗教的言動は,徉狂では恐らくない。それは,少なくとも彼の「心」を基準とすれば真実であろう。
「悪魔(悪霊)が体に入る」あるいは「悪魔(悪霊)に付かれる」という言葉は,日本人にはもちろんいわゆるメインラインのキリスト教信徒にとっても奇異に感じられるかも知れない。しかし,ペンテコステ・カリスマ派は穏健な教会であっても,この言葉は日常的に使われるし,この言葉を(そのような事実があるということを)文字どおりの意味で信じているのである。リベラルやディスペンセーショナリズムに立たない限り,「このような事実・現象は今でもある」ということは,少なくとも教理上は,否定できないはずである(だから,カトリック教会では,正式な役職として「エクソシスト(除魔師)」が存在している。
私の所属教会では,霊的(オカルト)なことは,ほとんど言わないが,ルター自身は,近くにいた悪魔にインク瓶か何かを投げつけたことがあるらしく,オカルト的なものは,教理上は強調していないが,否定していない。
私自身も,信仰上の立場を言えば,「悪霊に取り付かれる・悪霊が入る」という現象があるということは,信じている。どのくらいの頻度であり,どの様な「症状」か,「自分がそれを体験したことがあるか」は,分からないが・・・。
彼の信仰的言動,心の闇,を解き明かすためには,精神医学者も大事だが,それ以上に,地域事情に詳しい南米出身の神父,ペンテコステ・カリスマ派の牧師の協力が不可欠だろう。弁護人も最低限のキリスト教の知識,信仰への理解,宗教社会学や宗教心理学の知識は必要である。でなければ,満足な接見はできないであろう。本当は,「クリスチャンでなければ,弁護しきれない」と言いたいのだが,そこまで言うと極論なので止めておく。

1 ある外国人の刑事事件(私選 弁護士費用は安くない)で敵性証人(被告人と同国人)に「あなた方(弁護人)は知っているのですか? 真実とは何かを」と反問されたことがあった・・・・。「こいつあれだな,そっちの方向から攻めてみようか・・・・」と思ったが,突っ込むのは止めた。

2 やっぱり同様なケースで「証人黙して語らず」で数期日空転した事件があった(既決囚人)。あなた○○教会でしょう。今の刑務所では,ミサも受けられないでしょう。XX刑務所には,ローマ教会の教誨師はいて,毎週ご聖体を貰えるはずだ。ワインは出ないけどね・・・。と言ったら,その次の期日では,ちゃんと受け答えしてくれた。良い刑務所に行けたかなぁ?