主観的併合と裁判員実務


 これから書くことは,結構実務的な話で分かりにくいかも知れない(質問があれば適宜受け付けますので)。
 裁判員制度に種々の問題点があることは西野喜一教授(元判事)・井上薫弁護士(元判事),高山俊吉弁護士の著書のとおりであり,ほぼ論点は出尽くしていると思われる。
 しかし,管見の限り,まだ論じられていない重要問題が1個ある。
 主観的併合の問題である。

 解説は下記を参照。

http://cl.rikkyo.ac.jp/cl/2003/internet/tunen/hogaku/araki/keiji_sosyo-17.html
 併合には、複数の被告人を同一の手続で扱う主観的併合と、同一被告人の複数の事件を同一の手続で扱う客観的併合とがある。主観的併合は審理の効率性と整合性を目的としており、客観的併合は併合罪としての扱いを目的としている。主観的併合の場合に、例えば自白と否認など、被告人間で利益の相反する事態が生じると、手続を分離しなければならない。


 司法研修所の研究報告(かなり権威がある論文←おそらく裁判員裁判運用指針を示す論文)によると,裁判員裁判では「主観的併合審理はしない」ということである。
 どういうことかというと,以下のとおりである。
 例えば,A・B・Cの三人組が共謀してXさんを殺したという事案である。従前の裁判実務では,A・B・C三人が法廷に出頭し,共同で裁判を受ける(これを「主観的併合」という)。起訴状でも「被告人A・B・C」を共同被告として公判請求する。
 もちろん,審理を重ねている最中で様々な問題点(共犯者同士の足の引っ張り合い・利害相反)が起こり弁護人から「分離申請」が提起されることもあるのだが,たいていの場合,裁判官は「まぁまぁ・裁判所もたくさんの事件があるのでね」とか言って併合審理をつづける。

 しかし,裁判員裁判になるとこれら被告人さんは別々の裁判体で審理を受ける。つまり,3個の法廷で別々に裁かれることとなる。
 実務的な問題なのだが,これは結構深刻な話である。

1 「被告人3名の殺人事件」というのは結構ヘビーな事件であり,検察官請求証拠は3メーターぐらいの用量になる。ただ,この証拠は,各被告人の共通証拠−証拠等関係カードの立証趣旨記載欄等参照−でとなる。だから,証拠書類は裁判所宛のワンセットでよい。
 しかし,分離公判となると,各裁判所宛に証拠書類を3セット用意しないといけない(高さ9メートル)。紙資源節約を国是としているのに斯くも資源を無駄にするのはいかがなものかと思われる。

2 裁判所も検察庁も従前の手続ならば1回の手続で済んだのに,3回も同じような裁判を開かないといけない。裁判官も検察官もくたびれてしまうだろう。これらは関連事件なので,できる限り,近接期日で公判・判決をやりたいところだが,法廷の数も裁判官・検察官の数も足りないため,そういう運用ができるかも疑問である。

3 上記した「1・2」はトリヴィアルな問題かも知れない。深刻な問題は,宣告刑のブレだ。
 従前の併合審理であれば,一通の判決書で「被告人A及びBを無期懲役に,被告人Cを懲役15年にそれぞれ処する」という言い渡しができたのだが,弁論が分離するとそういうわけにはいかない。
 各地裁の事情によって異なるが裁判員裁判をリードする裁判官(3名)はそれぞれ同じ事件を扱うかも知れないし,3×3=9人の裁判官が別々にやるかも知れない。裁判員は6×3=18ということになる。
 近接した期日でこれだけの人数の裁判員をすんなりと徴用できるだろうか? 仄聞するところでは6人の裁判員を選ぶために50〜80人の裁判員候補者に出頭命令が発せられる。つまり,「3人組殺人事件」を裁くに際しては150人〜240人の県民に出頭命令を発することになるわけだ。そんな物的・人的設備が整った地裁なんてあるだろうか? 裁判員に振る舞う飲み物やお菓子代は幾らくらいになるのかと思うと,ほんとにコストベネフィットがない。全司法の労働者諸君も残業しないといけないかも知れないね。 
 
 統一審理(主観的併合)で法廷を運用するなら「A・B・C」の量刑事情を種々勘案して,公平・均衡に配慮した宣告刑言い渡しも可能だろう。
 しかし,3人組をそれぞれ裁判員裁判法廷で審理したらどうなるのだろうか? 「刑の均衡」を担保する仕組みがどこにもない。結局裁判員の当たり外れ(運)によって被告人の運命が適当に決められることになると予想される。

 これは,裁判員反対論者がまだ論及していない問題点である。西野教授,井上薫高山俊吉弁護士の研究に期待するところ大である。