統治主体意識???

 近代憲法における人権保障の根本理念は,「国家からの自由」である。リステイトすると国家権力から<汝人民よ 汝はあーしろ こーしろ,あれをやってはいけない,これをやってもいけない>と口うるさく干渉されない権利である(これは,憲法学の通説的見解であり,佐藤幸治教授もこの点は肯定されるであろう)。「国家よ! 俺のことをほっといてくれ! 俺は税金を納め,子どもを学校で通わせ,若いころに兵役に服し,今も勤労にいそしんでいる。選挙の際は忘れずに投票している。人様に迷惑を掛けないように生きている。車を運転する際は,スピードを控えめにしているし,もちろん酒気帯び運転なんかしない。・・あとは俺の自由だろう???」ということである。

 このような近代市民主義的人権概念・民主主義概念を「裁判員推進勢力派(「統治主体意識派)←鯰越溢弘・佐藤幸治・四宮啓等々」は−無理矢理に!!・権力的に・強制的に!!− 変えようとしているのである。それが,裁判員制度推進派の「国家戦略」の本質である。
 お前は,多少の犠牲を払って「民主主義」を体感せよ。国家はお前のために「民主主義のなんたるか」を教育してやるから心して国家的義務を果たせよ。民主主義社会の主体(担い手)たるお前さんは,そういう責任を果たすべきだ!! と余計なお節介をする国家公認イデオロギーをソフィステケイトすると「統治主体」というワケなのだよ。本当に余計なお世話だと思いませんか?
 この国家戦略は,徴兵制と・全体主義ファシズム・ナチズム)と・ブッシュと(イラク戦争遂行中)いかほどの径庭があるのか?? 

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  「迷惑だ! 何でそんなこと−俺の日常生活と関係ないこと−を押しつけられるのだ! 俺には俺の人生,俺の家族の生活がある。あっしには関わり合いのないことでございますから」といって文句をたれる市民(どちらかというと保守的・守旧的市民階層,自民党支持のその辺のおじさん・おばさん)は非国民なのだろうか?