非学者論に負けず
西野教授の著書に曰く,
その三は、きわめて「難儀な」人を装い、そもそもこの人は合理的な思考や発言はできないようだ、とてもこういう人と一緒に法廷をつとめるのは無理だ、と裁判長に思わせることです。そのためには、この面接にあたって、相手の論理の土俵に乗らない、というのが議論の鉄則になります。具体的な方策としては、そういう事由に当たりそうな事情を何でも針小棒大に申告し、「非学者、論に負けず」という諺そのままに、一歩も引かず、自分はやれない、やらない、こういう事情を抱えているのに、もし損害が発生したらどうしてくれるのか、とまくし立てるのが適切です。裁判官は、日頃、論理と合理性の世界に生きていますから、論理も合理性もまったく通用しない、そもそも最初から話が通じない、という人には非常に弱いのです。裁判長は、裁判員候補者を合理的な論理で説得しようとするでしょうから、これに対抗するには、絶対に合理性の土俵に乗らず、あくまでクドクド、ねちねちと不合理の世界で応対するのがよろしいでしょう。
どこにでもいるのだよね,こういう人は(笑)。私は裁判官ではなく弁護士なので,こういう人が事務所に来たら「法テラスに行ってください」と言うことにしている。しかし,こういう「非学者」が原告になると,裁判所としては「法テラスに行ってください」と言うわけにも行かないから(言っていた裁判官もいるけど←元トレイニーは見ていただろう)それはそれは困るよね。
私のブログは,結構,挑発的なことを書いている割には,いわゆるアラシがほとんどなかったのだが,最近は,女子中高生(反体制を自称)や東大法学部生(最高裁判事より法解釈の能力があることを自称)によるしょうもないコメントが多くなって困っていた。
西野喜一先生の著作
敬愛してやまない新潟大学法学部大学院実務法学研究科←いわゆる法科大学院みたい 教授 西野喜一先生が「裁判員制度の正体(裁判員制度への招待ではない)」を上梓された。
- 作者: 西野喜一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/08/17
- メディア: 新書
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現時点で接した書評(網羅的でない)
http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_b48c.html
http://puni.at.webry.info/200708/article_8.html
http://blog.goo.ne.jp/gootest32/e/fe0d5312f33b56b3545e55cf11014d5e
その他,同著に言及したブログなど
http://blog-search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E5%88%B6%E5%BA%A6%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=UTF-8&search_x=1
西野喜一先生は,裁判所で年4回開催される新潟民事判例研究会(裁判官・弁護士・新潟大学教員持ち回り発表,修習生も参加する)の常連メンバーである。
先生は裁判官に対しても弁護士に対しても発表演目に対して容赦のない質問・意見を浴びせかける。西野教授から容赦のない質問・意見を浴び「もう研究会には来ない」といった同業者(当弁護士会では,実務的にも理論的にも第1級という評価のS先生)がいたらしい。
西野喜一先生とはある問題を通じてちょっと険悪な仲だったこともあったのだが,最近は研究会が終わると裁判所近くのおでん処「童」で飲みながら,議論の続きをする。その際は,とても気さくで,馬鹿話にも付き合ってくれる。「孤高の秀才」という感じの風貌で,(鯰と違い)女子学生にもてるらしい。
http://researchers.adm.niigata-u.ac.jp/public/NISHINOKiichi_a.html
http://researchers.adm.niigata-u.ac.jp/public/NAMAZUGOSHIItsuhiro_a.html
(鯰先生は最近博士号を取られたはずなのだが,学位はまだ修士のままだ・・・。)
西野先生は,数年前から陪審員反対・裁判員反対の論文を書いていたのだが,学問的に高度すぎる上,同業者向けの判例雑誌への寄稿だったため,国民・大衆への訴求度は弱かった。
その西野先生が満を持して「裁判員制度の正体」を上梓された。まことに慶賀すべきことである。
裁判員制度が善良な市民を自殺に追い込む
当地には「大胆に情報に切り込む」をモットーとした地元月刊誌「財界にいがた」という雑誌がある。書店で平積みにされ,コンビニやキヨスクでも販売され,医院や理髪店の待合室にも置かれているという新潟では超メジャーな雑誌である。
スタンスは,「保守的市民派(やや右)」といった感じだろう。しかし,「週刊新潮的保守・右派」とはだいぶ異なり,新潟県中越沖地震に際しては,柏崎原発に関して「国・東電」を批判したり(柏崎原発に「活断層なし」と強弁してきた国と東電の窮地」で,「反原発派」の意見を丁寧に紹介している。「これは珍しい ○○党支持者による不法投棄」というのは左翼批判なのだけど,「新潟市議会はなぜかくもつまらぬ議会になりはてたか」という(右とも左とも分からない)記事も載せている。何というのか,良い意味での「反権力(右の権力も・左の権力も)」,「権力者を笑いのめす」というスタンスなのかも知れない。
要するに,新潟で起きている政・財・官の諸問題をじっくりと書くというスタンスなのだ。
その財界にいがたが「論戦布告 裁判員制度が善良な市民を自殺に追い込む」というショッキングな記事を掲載した。
私は,この記事について一点を除いては賛成だ。
キャプション(大見出しに続く記事の骨子)で
<「国民により身近で信頼される刑事裁判」−。こんなうたい文句に欺されてはいけない>,これは私も大賛成なのだが,
<(裁判員制度導入の)最大の目的は,左翼弁護士が画策する死刑制度廃止−。>は,そりゃ全然違うぞ! と言いたい。しかし,このような切り込み方も実は案外説得力があるような気もする。
キャプションは「その思惑(左翼弁護士の思惑)に弄ばされて,裁判員から必ずや自殺者が出る」と締めくくっている。
(私から言わせれば,「死刑存置の法務省・検察庁の思惑に弄ばれて裁判員から必ずや自殺者が出る」ということになるのだが・・・」
記事本文を若干引用する。
しかも被害者遺族と加害者本人の間で,裁判員は量刑を判断する義務を負っているのだ。量刑いかんでは被告人は一生刑務所から出てこられなくなるし,あるいは命を奪われることもある。
仮に立派に裁判員を務めたにせよ,時間が経つにつれ,事実認定や量刑の判断を後悔して自分を責める人も出てくるだろう。裁判員に選任されたばかりに精神的に追い詰められ,自殺するような人が出たら,一体誰が責任を取るのか。
これは決して誇張した記事ではないだろう。
職業裁判官であっても,「人を裁く重責」を背負いきれず児童買春に走り,罷免された人もいる。
職業上の重責の悩みを誰かに話せば,重荷の分かち合いで,気持ちが少し楽になるかも知れないが,裁判員は一生に渡って,守秘義務を負うのである。
裁判員制度 賛成 反対
死刑制度 存続 廃止
政治的立場 右 左
はそんなに簡単に割り切れるものでない。論理的に見て以下のように8通りある。
裁判員制度 死刑制度 政治的スタンス
賛成 存続 右
賛成 存続 左
賛成 廃止 右
賛成 廃止 左
反対 存続 右
反対 存続 左
反対 廃止 右
反対 廃止 左
実際上の立場は,8通り以上ある。
「人が人を裁くというが,世の中には人を裁けない人もいるのだということを法曹関係者は知るべきだ。」という言葉で原稿が締めくくられている。
雑誌最後尾の「誌上座談会」で再び裁判員制度が取り上げられている。見出しは「国民を欺す裁判員制度」
である。ここでは,
1 裁判員制度による判決も,高裁・最高裁で破棄される可能性がある。これでは,「国民の声を反映する」といううたい文句には意味がない。
2 「裁判員5人有罪」「裁判員1人,裁判官3人無罪」の場合,判決がどうなるかという最先端の問題が取り上げられている。
で,締めくくりの発言は
「裁判員制度は,結局,国民をダシにして裁判官が保身を図るほか,左翼弁護士たちが死刑制度廃止をゴリ押しするための”装置”というわけか。法曹関係者に告ぐ。善良な市民を欺すのも,いい加減にしろ!」というものである。
「財界にいがた」は私も愛読しており,(司法ネタ等に関し)ときどき取材を受けたり情報を提供しているのだが,私の「裁判員反対」の立論も取材してほしいと思う。