私は,何故,クラシックの名曲が嫌いなのか?(初期音楽教育の弊害)


シューベルト 魔王 未完成 グレート(第7? 第9?)
ベートーベン 運命 英雄 田園 第九(第4楽章)
ヨハンシュトラウス 美しく青きドナウ その他全部
モーツァルト トルコ行進曲交響曲40番(ト短調 俗称悲しみの交響曲←安易なネーミング)
ドヴォルザーク 新世界
スメタナ モルダウ
ショパン 太田胃散の曲
ブラームス 第1番第1楽章(「ずずんず デデンデ ぼぼんぼ ばばんば(通奏低音繰り返し)」良く聞くとドリフターズの終局歌(「お風呂入ったか? 手を洗えよ」に似ている)
作曲者不詳 「水芭蕉ーの花が,咲いている。綺麗に咲いているみーずのほとり(変なポルタメントやビブラートのまねごとをするな)」

上記に掲げたような,いわゆる「誰でも知ってるクラシックの名曲」は,はっきり言って大嫌いだ。

何故嫌いになったかというと,小学校の「音楽の授業」で無理矢理きかされたからである。私は小学校で,ろくな音楽の授業を受けた記憶がない。
音楽室には,一応ステレオプレーヤーが置いてあるのだが,レコード(当時はCD等なかった)針飛びビチビチの「名曲」を無理矢理聞かされる。音も低質。教諭によるその「名曲解説」がまた非道い。音楽批評が本質的に主観的なものであることは,無理もないところであるが(小学生にアナリーゼやらフレージング・アゴーギグの勉強をさせるわけにはいかないし,マタイ受難曲を聴かせても消化不良を起こすだけだろう),大して考察もしていない「印象批評」が多すぎる(たぶん教師用あんちょこ本に何か書いてあるのだろう)。小学生ながら,そういう印象批評は,正しくないし,押しつけが過ぎると思った。
小学校音楽授業により,私は一生癒えることのない,「名曲嫌悪症」に罹患した。

 その上,校歌がとても変
 「明治のその上,世に先駆けて,礎据いぬる 新々舎庁」
 「我が身に顧み,直くしあらば(中略)勇みて義に付くおのこの道ぞ(これ差別だよね)。父祖より受けこし(これも差別っぽい)」
私は,
 「明治時代の神様が,シンシンという名前の社長で,その人が「礎」という銘柄のタバコを吸いながらこの学校を設立したのだ」
 「男の子は,常に櫛を携行し,髪の毛を解かしなさい」と誤解していた。


昼休みの終わりには,モノラルスピーカーでわれ鐘のような音で「トルコ行進曲」が流れる。これも恐怖であった。
私は,小学生のころ,主旋律を「3度ぴったり低く・高く歌う」という芸当が何故かできた(何故出来るようになったかは今でも原因が不明である)。そうすると小学校の先生から,「音を外している」と叱られる(きっちりとしたピッチで3度外しているのだけど)。だからイヤになってなって,わざとらしくルバートしたり,ポルタメント掛けたり,こぶしをきかせたり,平行5度で歌ったりすると,「ふざけて歌うな。リズム・テンポを外している。一音一音はっきり分けて発声しなさい」と言われる。

ある日,その小学校音楽教師がリードオルガンを弾こうとして木製の椅子に座ったら,(木が腐っていたのだろう)椅子がバラバラに崩れて,教師はしりもちをついた。同級生は,皆げらげら笑ったら,1時限潰してみっちり説教された。

そういう音楽教育を受けて,「クラシック嫌い」になった人は相当多いのではあるまいか?
 
中学校の音楽の先生は,素晴らしい方であった(ご存命)。西埜先生というソプラノの先生(新大特音卒業)なのだが−どうも卒業記念で「夜の女王」を歌ったらしい),合唱指導・ブラスバンド指導は大変な力量であった。で,「クラシック音楽っていいものだ」と思い始めて,バッハとかヘンデルとかの声楽曲を聴き始めた。

私の長男も音楽的趣味が捻くれていて,今は,ドラクエの「冒険の旅ーバイエル80〜100レベル)」を弾いている。3連符が多いうえ,不安定な転調が多い曲なのだが,まずまず弾きこなしている。
二男は,毎日勝手に作曲して,意味不明な歌を歌っている。一応音楽の形にはなっているのだが,明らかにワザと音を外したりする。
ちなみに二男が通っている幼稚園の「園歌」は以下をクリックすると聞ける。何かのどかだが,味わい深い曲だ。

http://www.kinshi-ariake.jp/

私は,最近,<みんな楽しい塊魂>の「王様のフーガ」を愛聴している。