準備書面,最後の詰めが甘い(適正処罰請求権)

Barl-Karth2006-02-23

             (法律実務と法哲学
前の日記にも書いたが,私とパートナー弁護士とで,国家賠償請求訴訟を仕掛かり中である。最近の検察官は悪いことをする人が多く,この事件も,検察官事務取扱検察事務官が交通事故被害者(原告)の電話聴取書を偽造(虚偽公文書作成・同行使)した事案である。
論点は二つ。「適正処罰請求権」と「情報コントロール権としてのプライヴァシー権」である。一応先ほど準備書面と書証(学術文献や判例評釈,英語の文献−ユタ州憲法−は,翻訳を付けるのが面倒なので,とりあえずそのまま出した)は提出しておいた。
ただ,「まだ学術的レベルの詰めが甘いな」と思い,もうちょっと書き足そうと思っている。
だいたい,日本の実務家や法学者は,意識的・無意識的にカント的近代啓蒙主義に毒されている。ちなみに,私は,いわゆる「村八分」事件で「村八分した側」の代理人をやっているが,相手方は,東大法学部時代(60年代)にキリスト教の洗礼を受けたというやっぱりゴリゴリの「近代啓蒙主義」に無意識的に毒された人で(この先生は「キリスト教ヒューマニズムである」というとんでもない誤解をしている),当方は,そのうち,コミュニタリアニズムに立脚した長大準備書面を提出するつもりである。
そもそも,60−70年代に法学部を出た人たち−特に東大−は,まじめに法思想史法哲学史の勉強をしたことがあるのだろうか? 歴史(思想史や哲学史,学説史)を学ぶ意義は,近代や現代を相対化する(近代や現代は歴史の一こまに過ぎない)という点にある。自己の(意識的・無意識的)思想・哲学をきちんと自己認識しなければ,真の法律家とは言えないはずだ。
トマス主義法哲学者 水波朗先生も同様のことを「法の理論(成文堂)」で書いていて,日本の法学界がカント主義に毒されている「諸悪の根源は東大法学部と同出身の文部官僚である」と断じておられる。
じゃぁ,トマス主義が良いかというと,私は,カール・バルトやケルゼン(この人は,新カント学派と位置づけられているが,根本規範概念は,よく考えるとオッカム主義である)を愛読している関係上,オッカム(意思主義)に近いので「カントと東大法学部が悪い」と言う立場は一緒でも,水波氏のいうことにも賛成できない。色々文献を読みあさっていたら,星野英一先生はトマス主義でオッカムはお嫌いらしい(星野先生がローマ・カトリックだということは知っていたけど)。
刑法基礎理論における「応報刑」が通説化したのがいつ頃か知らないけど,哲学的基礎付けを固めたのは,カントである(2004年の日本刑法学会で「カント・ヘーゲルの刑罰論」というワークショップに参加した)。実定法刑法学者は,そもそも哲学をやっていないか,(意識的・無意識的)カント主義者かであることが多く,ぎりぎり詰めた議論をしようと思うと,使えない連中が多い。特にM・Mなんて(以下省略)。そういえば,刑法学会の発表でコミュニタリアニズムに依拠した刑事法理論で演説をかましていた若手刑法学者(渥美シューレ)がいたので,「オウム」は保護されず「ローマ・カトリック」は保護されるというのが,コミュニタリアンの理論的帰結だと思うけど,そこまで先生根性座っているのかい? 現代アメリカのプロテスタント神学では,リバタニアリズムの立場から,「刑法の私法化」が真剣に議論されているのだよ。

 先生の見解(私より年下みたいだね)を徹底的に貫徹すると

1 「御柱祭(長野)」という神道の宗教行事で人命が失われても,どうということはない。
2 オウム真理教が宗教行事の「温熱療法」を執行し,人命が失われたら徹底的に弾圧する。
3 ローマ・カトリック教会の聖堂に安置されている聖母マリア様の御像にオシッコを引っかけると大変な問題になる。
4 アサハラショウコウのご尊影にオシッコを引っかけてもウンコをたれてもたいした問題にはならない。

ということになろう。そこまでセンセー根性が座っているのかい,と(刑法雑誌参照)。
ネチネチ質問した。改めて団藤先生の教科書を読んでみたが,学生時代には気づかなかった「粗さ」が目立つ。荘子邦雄先生は,ヘーゲル系だしなぁ? 改訂前の教科書は自宅に置いてきたし・・・。
なんか良い文献がないかなぁ? と事務所の書棚を物色していて,聖トマスの神學大全(第2−1部 第90問題−第105問題)を読んでみたけど,あまり役に立たなかった。
更に物色したら,ホセ・ヨンパルト教授古希祝賀論文集(人間の尊厳と現代法理論)を発掘し,に森村進(一橋)がとても良い論文を寄稿していたことが判明した。「リバタリアニズムの刑罰理論」 やったね!! 「適正処罰請求権」の準備書面で使わせてもらおう。
私の学生時代の刑法教科書は,「カント」・「ヘーゲル」などドイツ系べったりだけだったので,英国系の刑罰理論がこれほど平明でしっかりしているものとは思っても見なかった。
で,パートナーの弁護士に,「先生! 適正処罰請求権は,ロック・リバタリアニズムで考え直してみましょうよ」と提言したところ,「裁判所にそんなことを言ってみても始まらないだろ。先進国のニュージーランドでさえ,まだそこまで行ってないし。だいたいあの裁判官は,オペラばかり聴いているらしく,「応報」と「復讐心」の違いも分からないらしいから。」と弱気な様子であった。
相手方の訟務検事は,「情報コントロール権」の問題で阪本昌成や佐藤幸治(教科書改訂後)をびしばし引用してきて,結構手強い。私は,弁護士になって以降,憲法の教科書は阪本昌成ばかり読んでいるのだが,自宅に置いてきてしまったので,今,ちょっと参照できない。
自宅のアルヒーフには確か三島俊臣先生の祝賀論文集が置いてあったはずだ。もしかすると役に立つ論文があるかも知れない。

こうやって,プログレッシブな弁護士の弁論活動を考えてみると,学説のいいとこ取りばかりしている。昨日,某支部コミュニタリアニズムを論じたかと思うと,本日は,某支部リバタリアニズムを論ずるわけで,「二枚舌」と言われても仕方がないかも知れない。
 (聖トマスの画像がどっかに行ってしまった。)
http://park11.wakwak.com/~shinkyo/new03.htm