ザッハリッヒ・須く・コンベンショナル

1 ずいぶん昔,ラジオニッポン(NHKと訴訟沙汰になった)で「ただしいニッポン語」という番組があった。高校生当時,私はその番組を愛聴したのだが,内容は殆ど忘れてしまった。

2 最近「日本語の誤用」を殊更にあげつらうような新書本・文庫本が多く出版されている。そのような本の言っていることは概ね正しい。正しいのだが,いかにも下流サラリーマンや下流企業経営者向けの著作であり,<今更そんなことを指摘されても失意体前屈。こんな本なら私でも書ける>と思う。だから,このような本は立ち読みするだけで買わない。というか,立ち読みしていることを他人に現認されたら恥ずかしくなってしまうような内容である。

3 「要すれば」・・・・,これは要するに「その(必)要があれば」という意味で使われる言葉であるが,最近はこの言葉をば「要するに」と誤用していることが目立つ。宮沢喜一首相(当時)はこの言葉をごく自然に使っていた。やっぱり東大法学部を出て大蔵省に入った人は,このような難しい言葉を日常用語的にっさらっと使っている。現在総理大臣をやっている人は,この辺を分かっていないらしい。

2 ご存じの<「すべからく」(須く)の誤用>も未だに後を絶たない。私の妻は,この言葉の使い方を的確に説明したように一見思われた。曰く<「須く」という言葉を使った後に「べし」を付ければよい>。

しかしよく考えてみるとこの説明は正しくないだろう。もしこの説明が正しいとすれば,
   <男たるものは須く金玉が3個あるべし>
   <女たる者はだれでも須く浮気すべし>
   <政治家は須く嘘つきであるべし>
   <通勤・通学前は須くタバコを20本吸うべし>
という命題は皆正しいということになる(と妻に反論したら,殴られた)。(私の説明に反論できる人はいるかな?)

3 「<「ウサギ オイシ カノヤマ>ってどういう意味か知っているか?」と長男に聴いたら,「ウサギを昔,追いかけた山のことではないか」と返答した。小学生にしては,結構分かっている様子だ。「だれがウサギを昔追っかけたのだ」と説明を求めたところ「鹿野山さんとかという人なんじゃないの?」と長男は答えた。あぁ,やっぱり私のDNAを受継している。将来が危ぶまれる。

4 以上は余談である。バルトやマックス・ウェーバーの本を読むと「ザッハリッヒ」とか「ザッヘ」という言葉が非常にしばしば出てくる。「云いたいことは分かるのだけど,このドイツ語をどう訳すればよいのだろう」とときどき思うことがある。−事柄・仕事−・−事柄に即して・事務的に−くらいの訳し方で良いのだろうか? ときどき修習生の起案した書面を添削したり・同業者の書面や学者の論文を読むことがある。その際「もうすこしザッハリッヒに書けないのか」とか「ザッヘの積み重ねだ。理論や批判はその後だ」と批判することがある。
ドイツ語が読めると自称する元大学教授に「もう少しザッハリッヒに書けないですか? 言葉の勝義におけるザッハリッヒカイトが大事なんです」と言っても,私が言いたいことを理解してくれない。
ふとグーグルで検索したところ

http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/m/200507

に良いことが書いてあった。日常的にドイツ語やドイツ文化に親しんでいる人でもこの言葉は,コントロバーシャルらしい。

「コンベンショナル」という言葉について,得々と講釈をたれていた学者がいた。「お前の云いたいことは分かった。私がこの言葉を習得したときには,第一義に<規約的>と訳していたし,ウェーバーもそういう言葉の使い方をしていた筈だ」と言ってやった。