ホセ・ヤギ事件の件(続き) 

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/hiroshimajoji/news/20060609ddf001040022000c.html

広島・小1女児殺害:ヤギ被告に死刑求刑 地検「矯正は不可能」
広島市で昨年11月、小学1年の女児(当時7歳)が殺された事件で、殺人罪などに問われたペルー国籍のホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(34)の論告求刑が9日、広島地裁(岩倉広修裁判長)であり、広島地検は「矯正は不可能で再犯は防げない。遺族の処罰感情は峻烈(しゅんれつ)で社会的影響もきわめて重大」などとして、死刑を求刑した。
午後から弁護側の最終弁論とトレス・ヤギ被告の最終意見陳述を行い、結審する予定。事前に証拠や争点を整理して審理の迅速化を図る「公判前整理手続き」が取られたため、初公判から1カ月足らずで結審し、7月上旬にも判決が言い渡される見込み。

私は,幸い死刑事件の弁護をしたことはない。ホセ被告人の弁護をした弁護士さんは,大変なご苦労をなされた(これからもするのだろう)と思う。体をこわさなければよいのだが・・・。

「犯行」が11月,「判決」は,これから8ヶ月後ということらしい。率直に言うが死刑判決を言い渡す審理期間としては短すぎる。巷で起きている離婚や男女問題,借金の取り立て,商売のもつれ,交通事故の解決(普通の民事事件)でさえ1年はかかる。一般庶民の破産事件でも(早くて)3-4ヶ月はかかる。刑事事件でも「否認」となると懲役2-3年の刑の判決(「死刑」に比べれば「小便刑」)でも,1年以上かかる。
「人の生き死に」

ひと一人を死刑にするには,やはり第1審段階で,2-3年の審理期間が必要であろう。歴代の死刑事件を考えてみてほしい。起訴後数ヶ月で死刑判決が言い渡された例はない。

地裁における「死刑求刑」・「死刑判決」事件は,たとえ「責任能力」に問題がないとしても「情状立証」に数ヶ月の期日が与えられる。

・被告人の出自
・生まれ育った環境
・青春時代
・就職
・結婚
・蹉跌
・実行行為,実行行為の際の心境
・殺してしまった後の気の動転
・死体を埋めた際の心境
・逮捕,捜査段階での気持ちの揺らぎ
・公判後の心境(これを立証するために現在帰依している宗教の指導者−牧師・神父・お坊さん等−を喚問することもある)
・反省の情

これらを数期日の開廷で,弁護側は立証しなければならない。事前準備に際して,弁護人は,被告人とアクリル板越しで対面し,(手を抜かない限りどう考えても)10-20日は付き合わないといけない。
このような丁寧な弁論を経て,検察も,裁判所も(そして被告人も弁護人も)「やるだけの審理を尽くしたのだから死刑求刑・死刑判決も仕方がない」ということで判決を迎えるのだ。「死刑」というのは,それほどの重みがあるのだ。

最近は「裁判の迅速化」ということが声高に主張されている。私は,このような声に疑問を感じる。裁判というものは,被告にとっても被害者にとっても一生に1回くらいしかない体験なのだ。実を言うと裁判官にとっても検察官にとっても「死刑事件」というのは,職業生活上おそらく一生に1-2度のことだと思う。
そんなに軽々しく死刑を言い渡してしまっていいのだろうか?
「あなた(被告人)に対してこれだけ丁寧に調べを行いました。あなたに対してできるだけ有利な事情,死刑を避けるべき事情がないか慎重に調べました。しかし,あなた(被告人)に対してどんなに慎重に考えても死刑判決を言い渡すしかありません」
このような判決であってこそ,死刑に対する「感銘力」があのである。

私は(制度としての)死刑に反対でも賛成でもない。しかし,1年にも満たない審理で,人を死刑に処することは反対である。