* [法哲学]徳永信一弁護士(大阪弁護士会)憲法委員会委員について

(学問的議論に関しては,敬称を一切省略するので,以下同様)


Tさん

徳永信一のML,走り読みしました。
徳永と私とは,その読書傾向・思考の運び方が似通っているし,問題意識もある程度共通していると思いました。
インターネットで情報検索(google外)すると,徳永はかつては薬剤エイズ訴訟の弁護団を務めていたようですが,その外の情報を見ると正真正銘の「右翼」ですね。
1958年生まれ・修習40期となると,碧海純一(彼は京都なので加藤新平?田中成明?),ケルゼン・新カント学派・分析哲学(その後の潮流としてのアメリカ政治哲学 ドゥォーキン)が基盤ではないかと思います。その点では私も徳永と共通なのですが,その後の読書傾向や思考傾向(思考の「内容」ではなく思考のクセ・思考の進め方ともいうべきもの)がかなり違うように思えます。
私は,ケルゼン・分析哲学・カント・新カント学派の勉強をした後,キリスト教(神学・哲学)を基盤とした考え方に転じています。彼はどこへ行っちゃたんだろう? 薬害エイズで何か思想的契機があったのだろうか? (名前は思い出せないけど,某漫画家−よしりん??−みたいに?)

7頁目の「改正限界論の政治性 シュミット、ケルゼン、小林直樹、清宮一郎(-ママ-四郎)、田端忍」については,「なるほどよく勉強している」とは思いながらも,「今ひとつ足りないな」という印象を持っています。例えば−,
純粋法学第2版「力から法への転化(変容)トランスフォルマツィオン デア マハト ツー レヒト」への論及がない。「デモクラシーの本質と価値」における「沈みゆく船(民主主義を徹底することによる矛盾)」にも論及すべきでしょう。ラートブルッフの「悪法は法である。しかし・・・・」という「存在当為二元論」に立脚した上の「悪法不服従」にも徳永は言及していない。
徳永は私より4歳くらい年上で,京都大学法学部を出ているのだから,これくらいの読書はしている(筈である)し,即座に引用できるくらいの学力はあると思いますがね。
日本の憲法学者については,菅野喜八郎(清宮の弟子)に論及する必要がある。又,ケルゼンの「徹底的意思主義(主権者の「意思」を制限するものは何もない。「理性」もこれを制限できない)−非理性主義−」は,キリスト教スコラ哲学におけるフランチェスコ学派(ウィリアム オッカム)に繋がるし,「意思主義的自然法自然権思想」を構築することも可能という点まで考えないといけません。
ホセ・ヨンパルト,水波朗星野英一,田中耕太郎外スコラ哲学(トマス)・カトリック法律学を基盤とした自然法への論及がないのも,徳永の限界でしょう。

徳永はいろいろな学者の著書に論及していますが,どこまでこれらの著書を読んでいるかは,少なからず疑問です。徳永の文章は,学問的韜晦を長々と継続した上,最後は,脈絡もなく「左翼」に対するおちゃらけた調子の罵詈雑言になっていて,徳永の学識とその「右翼思想」がどう結びつくのか,私にはさっぱり分かりませんね。

T先生のグループは,Mが基調で,私とはその点で根本的に異質なのですが,そうであればこそ,何かのお役に立てるかも知れません。