第九とミサソレムニス

ねどべど様
第九が「美しい」かどうかは,「美しい」の定義と各人の感受性によりましょう。私は,「美しい(美しすぎる)」という評価が妥当かについては,疑問を留保しておきます。しかし,曲を練習し・研究するたびに「凄すぎる」曲だと思います。
そこまでやるか! という感じ。シラーの詩ですが,私は,余りよい評価をしていません。私には詩(の美しさ・芸術的価値)を批評する能力はないのですが,グログロな近代啓蒙主義・理神論は,どうしても自分の思想(偏狭なプロテスタンティズム)と合わないのです。
第九は「ミサ・ソレムニス」の完結編と,私は位置づけています。ベートーベンは,ミサ・ソレムニスにおいて,ミサ式文を用いながらも,で曲を終わらせました。nobis(我らに)をあえて略したのです。ここに,ベートーベンの脱(超)教条-Credo-的キリスト教の萌芽が見て取れます−指揮者飯盛範先生の受け売りです−。
しかし,ベートーベンは,Agnus Dei - Dona pacemを完結させることはできなかった。Agnus Deiは地上の全存在が平和の歓びを讃える曲として構想されたのに,戦争を暗示するラッパ−これを聴いた民衆のおののきを−解決しないで尻すぼみに終わってしまった−どこにも歓びに溢れたフィナーレはない−。
これを解決するために,第九第4楽章が創られた。しかし,歓びが余りに凄すぎて,行くとこまで行っちゃった。
こういう解釈って,結構あるのじゃないなぁ。
pfaelzerweinさん
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/
の方が,私より音楽批評能力があると思うので,一度きいてみようと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=AWbB4O-q6e0