「私の思想,私の信条,私の良心で死刑に処します」
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?ANKEN_TYPE=3&CLASSNAME=Pcm1090&KID=300090007&OBJCD=&GROUP=
中の「提出意見の概要」をプリントアウトして読んでみた。
「税理士」さんとか,「焼き物製作者」さんの「辞退希望」は「そうだよねぇ」と思ってしまう。自分も合唱やコンサート活動を業としているので「マエストロ稽古・ゲネプロ・オケ合わせ・本番」の際は辞退させてもらいたい(就職禁止事由に該当するから良いけれども)。
「○刺青をしている人 ○交通違反を犯したこと<に>(原文ママ)ある人 ○喫煙者の人」も辞退事由という意見もある。その他,関係当局(法務省)の政策を踏まえてこれを混ぜっ返している意見も多い。
法務省は,経済団体への働きかけを深めているが,「27 日本商工会議所東京商工会議所」はまだオルグしてないようだ。
これらの圧倒的・具体的・生活密着的各種反対意見に比べると「日弁連」・「一弁」の「御意見」は呆笑するほど「反憲法的」なものだ。
一弁の見解
「(思想・信条による辞退は)真摯な理由に基づくものであるかの判定を行うことは非常に困難であり,むしろかかる辞退事由を認めることが裁判官において思想・良心という個人の内面に踏み込まざるを得なくなるおそれがあり,思想・良心の自由の確保に反する危険さえあるといわざるを得ないので,認めるべきではない」
まるで,憲法史や宗教史を理解していない議論だ(この「御意見」の起案者・責任者は頭が呆けているし法律家が保っているべき教養が皆無である)。韓国のエホバの証人は,「義務のコンフリクト」の中,良心的兵役拒否を選んでいる者が多い(兵役拒否者に対する刑罰の相場は「懲役1年6月」くらいらしい)。
人は,時として思想・信条・良心によって,その命を投げ出したり職を賭したりするのだ(聖トマス・モア「わが命つきるとも」でも見てほしい)。
聖書には,「人を殺すなかれ・人を裁くなかれ・誓うなかれ」という言葉がある。私はアウグスブルグ信仰告白を信認しているのでこれらの言葉をリテラルに解釈していないが,しかしこの言葉をそのまま現実生活に適用しているデノミネーション・セクトも少なくない。まして,裁判員は「人を死刑にする」職責を負担する。キリスト者の中には,死刑廃止論を信奉している人も多いのだよ(恐らくかなりの数のカトリック,日本キリスト教団,福音派諸教団)。浄土真宗でも事柄は同様だ。そのような人が,「裁判員法違憲訴訟」を起こしたら,闘い抜けるのか>法務省。
候補者 「私は,裁判員選任を辞退したい」
裁判長 「理由を述べてください」
候補者 「私の良心・私の思想・私の信条に反します」
裁判長 「分かりました。辞退を認めます」
という運用であれば,一弁が懸念するような心配は杞憂になる。
これによって,一弁が心配している
「思想・良心の自由による辞退を認めることは,裁判員制度の自己否定(になりかねない)」
という結果をもたらしたとしても,それは,小泉や佐藤幸治や法務省の責任なんだから,一弁は恬然としていればよい。