正直であること・ザッハリッヒであること

http://d.hatena.ne.jp/revolu/20071021/p7#c

2007-10-21■もらるとかばるととかふいゆは未熟な部類
で、本音では、先生がやるような形式で学問をやっていけば自分の人生設計がうまく行くからああいう風にまやかしのような論文を読み書きしているだけで、本物の学者ではない。

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Barl-Karth 『 私の読み書きしている論文が「まやかしのような」ものなのか,説明してください。
1 私の読んでいる著書・論文
2 私が主としてブログで書いている文書(それ以外に交換している文書は若干ありますが,それに接しているのなら,それも含めて)
 なぜ,「まやかしのようなものか」を根拠を示して,説明してください。

 これは,私に対する侮辱的な評価なので,その評価根拠事実を指摘する義務があなたにはあります。』』 (2007/10/17 20:43)

revolu 『ファクトに基づかず、専門用語を並べただけで何かを論じた気でいるあなたの言論全体が一種のことばのまやかしであることは明らかであって、多言を要しない。』 (2007/10/17 20:48)

Barl-Karth 『 いえ,人に否定的侮蔑的な評価をする以上,その評価根拠事実を具体的に主張責任があります。「多言を要しない」では済まされません。あなたも要件事実を勉強しているようだから,私のいうことは理解できるでしょう。』 (2007/10/17 20:51)

Barl-Karth 『「交換している」は「公刊している」に訂正。』 (2007/10/17 20:52)

revolu 『ファクトに基づいていないから、まやかしです。以上。』 (2007/10/17 20:56)

Barl-Karth 『>専門用語を並べただけで
 この言葉は,「専門用語を並べただけで,それを書いた私が,専門用語の意味を理解していない」と言うことをいいたいように理解できるのですが,そのように理解して良いのですか? 釈明を求めます。 

>「何かを論じた気でいる」
については,「論じた気でいるだけで,実はなにも論じていない」
言うことをいいたいように理解できるのですが,そのように理解して良いのですか? 釈明を求めます。』 (2007/10/17 20:57)

Barl-Karth 『1 「ファクトに基づいていない」とはどのような意味ですか。釈明を求める。
2 私の書いたことについて,例えばどこがファクトに基づいていないのですか? 2−3の事例で結構ですから,事例に基づいて,あなたの所見を説明してください。』 (2007/10/17 21:00)

revolu 『ばると、ふいゆ、もらるたんの一般的傾向として、先生が決めた概念枠組みを疑おうとせず、それに唯々諾々と従っている、すなわち、体制順応的であり、体制を疑うことをしないことが認められる。しかし、体制を疑わないのでは、もし体制が都合の良いウソを学術として広めようとしていた場合に、それにたいするチェック機能が働かず、簡単にウソを受け入れてしまうこととなる。これでは学問とはいえない。学問とは体制超越的で事実に基づくべきものであり、事実ではなく先生に基づこうとしている傾向のある三者は似非学者というべきである。』 (2007/10/17 21:01)

Barl-Karth 『 一般的傾向として,私の書き込みのどこが,「先生が決めた概念枠組みを疑おうとせず、それに唯々諾々と従っている(以下略)」なのか,2−3の事例を示して,説明してください。』 (2007/10/17 21:03)

revolu 『結局、akatori777氏のように、事実から説き起こそうという姿勢がなく、外国の学者や偉い先生の言説という前提から出発して疑うところがない。これでは、ただの試験秀才、仕事秀才ではあっても、純粋な学者と認めることはできない。純粋な学者とは、ギリシアの哲学者のように、何ものにもとらわれず知的好奇心をもって対象をじっくり観察する人であり、権威ありとされる言説を多く記憶している者ではない。』 (2007/10/17 21:04)

revolu 『>>自分で事実を観察して体系化していく姿勢がなく、先行研究を勉強しているだけだから。』 (2007/10/17 21:07)

Barl-Karth 『 繰り返しになりますが,私の書き込みから,2−3の事例を挙げて,
>事実から説き起こそうという姿勢がなく、外国の学者や偉い先生の言説という前提から>出発して疑うところがない。
 と評価しているのか,ファクト(事実)に即して説明してください。』 (2007/10/17 21:07)

revolu 『ファクトはあなたのブログ全体です。全体的考察法。』 (2007/10/17 21:09)

Barl-Karth 『 あなたは,「事実」という言葉を多用しますが,そもそも,法哲学自然法論や実定法解釈学は「事実」を対象とする学問ですか? 多少哲学的な問題となりますが,この点に関して,自由に意見を述べてください。』 (2007/10/17 21:09)

revolu 『実定法解釈学等は人定法を対象とするようであるが、人定法などは屁のごときものであり、重みがない。事実ないしは慣習の規範力を尊重すべきという立場を取る。』 (2007/10/17 21:11)

revolu 『私の立場は、まず事実ないし慣習といった自然の規範ありきで、人定法は客観的にそれらを改良するといえる範囲で有効であり、それを超える為政者の恣意的な立法は無効にすべきとする。』 (2007/10/17 21:13)

Barl-Karth 『多少哲学風の問答になりますが,全体は,個別の事実(部分)から構成されています。だから,「全体です」というのならば,「例えばこの部分である」と指摘できるはずです。
 ですから,私は,しつこく,「2−3の事例を掲げよ」と述べているのです。
 法哲学的書き込みでも実定法学的書き込みでも,実務に関する書き込みでも結構ですよ。
 全体がそうだというなら,2−3の事例が指摘できるはずです。』 (2007/10/17 21:13)

revolu 『この点、日本法は利益主義のための反事実的人定法が多く、私の見解からは違法なものが多い。ゆえにこうして批判活動をしているのである』 (2007/10/17 21:14)

revolu 『>>2、3の事例
明確に書かれていることではなく、こちらの主張に対する反応、言わないことと言った空白部分が決定的な要素であるから、事例をあげる意味がない。』 (2007/10/17 21:15)

Barl-Karth 『「事実ないしは慣習の規範力」をもって,自然法(の存在)を基礎付ける見解は,興味深いので,もう少し自説を展開してほしい。むしろ,これは,法実証主義に近い見解ではないか?
 この点について,説明してほしい。』 (2007/10/17 21:18)

Barl-Karth 『>>>2、3の事例
>明確に書かれていることではなく、こちらの主張に対する反応、言わないことと言った>空白部分が決定的な要素であるから、事例をあげる意味がない。

 意味が分かりません。例えば,「こちらの主張に対する反応、言わないことと言った空白部分」としてどの様なものがありますか。
 2−3の事例を示してください。』 (2007/10/17 21:21)

revolu 『自然法学説は、人権保障によって国民をじゃじゃうまのようなものにすることを目指しているようだが、これは「自然」の曲解である。人間にとっての自然とは、じゃじゃうまになることではなく、理性が野生をしかるべく改良してある均衡点で安定することである。そのような人間社会としての均衡点が存在することは、明らかだから、自然法は存在する。』 (2007/10/17 21:22)

revolu 『>「こちらの主張に対する反応、言わないことと言った空白部分」としてどの様なもの

体制を疑えと促しているのに疑おうとしたりブログで体制批判をしようとしないことなど。また、日本の弁護士でありながら日本の史的背景には一切言及せずもっぱらドイツの教説を繰っているだけという点』 (2007/10/17 21:24)

Barl-Karth 『 あなたが,「じゃじゃうま」云々と言ったところと,「自然法」「自然権」「社会契約論」との関係を説明してください。例えばホッブスなどに即して(西欧のジャーゴンや学者が嫌いなら別にホッブスや社会契約論に言及せずとも良い)。』 (2007/10/17 21:26)

Barl-Karth 『 しばらく,あなたに時間を与えます。未答弁の質問に答えてもらえますか?』 (2007/10/17 21:27)

revolu 『契約論とは無関係。
自然法自然権の自然を、自然のままの、じゃじゃうまのように暴れる個人と理解するのが自然法学説であるが、この理解がおかしいのは上に書いた通り』 (2007/10/17 21:29)

Barl-Karth 『 論点からずれますが,
「東大卒社会人」とこのブログであなたは自称していますが,
1 東大とは「東京大学」を意味すると理解して良いのですか?
2 上記が「東京大学」を意味するのならば,あなたは何時東大を卒業されたのですか?
3 「社会人」の意味が不明確です。プライバシー事項に触れない程度であなたが今,どのような意味で「社会人」なのか説明願います。』 (2007/10/17 21:31)

revolu 『人間は人間としてのほどよさをもとめていくのが「自然」だから、そのほどよさに向かわない日本実定法は自然法に基づいていない。日本実定法はアメリカ実定法の真似をして、国民に向上心をもたせず、常に経済に動員できるようバカなままにしておくと言う狙いだ』 (2007/10/17 21:33)

Barl-Karth 『「自然法自然権の自然を、自然のままの、じゃじゃうまのように暴れる個人と理解するのが自然法学説であるが」
 このような理解は,あなたの理解ですか? それとも,他にこのような理解をしている見解はありますか?』 (2007/10/17 21:33)

revolu 『1 そうです
2 いつでしょうねえ。昨日かもしれませんし、20年前かもしれません。私はもしかすると40歳の裁判官だったりするかもしれません。
3 答える義務はありません。』 (2007/10/17 21:35)

revolu 『日本憲法の人権保障の意味を調べればじゃじゃうまというキーワードが出てくると思います』 (2007/10/17 21:36)

Barl-Karth 『「自然法学説は、人権保障によって国民をじゃじゃうまのようなものにすることを目指しているようだが」
とのことですが,管見の限り,そのような「自然法思想」は古今東西存在しません。転居なり根拠なりがあれば示してください。
 仮に憶見が正しいとすると,あなたは,勝手に「従前の自然法学説」を「定義」して,「従前の自然法学説」に対して批判を加えていると理解できます。
 こういうのは,俗な言葉を使えば,「オナニー」であり,「ドン・キホーテ」です。
 
 私の以上のような論評に対して,批判を加えていただければ幸いです。いずれにせよ,リアルタイムに反応する必要はありません。ゆっくり考えてお答えください。』 (2007/10/17 21:42)

revolu 『>管見の限り,そのような「自然法思想」は古今東西存在しません
では管見外にあると思います。調べてください』 (2007/10/17 21:43)

revolu 『http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/96-2/ishizaki.htm

じゃじゃ馬で検索』 (2007/10/17 21:45)

Barl-Karth 『「1 そうです」
 あなたは追数ヶ月前まで「東大生が教える」と述べていたが,
 上記に言う「東大」とは「東京大学」ですね。
 そうすると,あなたは学歴(卒業していない大学を卒業したと)詐称している可能性が強い。
 この点については,あなたに説明の義務があるので,説明してください。』 (2007/10/17 21:46)

revolu 『引用

ただ、この場合に統一性をどう理解するのかが問題である。それは結局、「憲法が保障する権利」がこの「容器」によって保障されている限りにおいて人は、「自分が代複?されている」と感じ、「ひとつの全体への私の帰属意識」(110)を持った「市民」となるのだろうか。この点は、なお検討を深めねばならない。しかし、この観点から、脈絡は異なるが、奥平康弘教授が、「語弊はあるがあえて言えば、『人権』というものは野性味ゆたかで生きのいいじゃじゃ馬みたいなものである。これを人々が憲法的秩序に適合するように飼い馴らすことによって、『人権』は『憲法が保障する権利』となる(2)」として、「憲法が保障する権利」と「人権」とを区別して論じていることは興味深い。奥平教授の学説の誤解ではないかと自問しつつ、あえて、次のように考えてみる必要があると思う。
  「各人の各人にたいする戦争状態」を生み出す危険のある「人権」が代複?国家過程を媒介にして「憲法が保障する権利」となる。そうであるとすると、今日なおわたしたちは「人権」を「飼い馴らす」という「強迫観念」に囚われて、自ら代複?国家をつくりつづけているのであろうか?そうであるとすると、実は、半代複?「制」という「容器」の外延を画するのは、「憲法が保障する権利」ということになり、またしても「容器」から「内実」へという方向転換が現われる。そして「憲法が保障する権利」の主体としての(代複?国家によってつくられた)市民と「人権」の主体としての人との主体の別も問題になりうる。
  ここのところをさらに検討してみる必要があろう。』 (2007/10/17 21:47)

revolu 『説明義務はないと思いますが、東京大学を卒業していることは間違いないので詐称に当たらない』 (2007/10/17 21:49)

Barl-Karth 『 あなたは,最近まで「東大生(これは「東大在学中」を意味すると理解して良い)」と述べていて,現在は,卒業「東大卒」と述べている。考えられる可能性としては,現在東大在学生でありながら,過去に東大を卒業したことがあると言うことくらいですが,そのような理解で差し支えないのですか。
 学歴詐称は重大な問題ですから,お答え願います。』 (2007/10/17 22:04)

revolu 『「学歴詐称は重大な問題です」
ブログの学歴詐称はよくあることであり、この命題が誤りなので理由がありません。』 (2007/10/17 22:08)

Barl-Karth 『 あなたは,学歴詐称を認めるのですか? 「よくあること」であなたは「学歴詐称」を正当化するのですか?』 (2007/10/17 22:09)

revolu 『詐称ではないが仮に詐称であっても問題ないと言うこと』 (2007/10/17 22:14)

revolu 『話題そらしてないで自然法につき見解を述べられたい』 (2007/10/17 22:14)

Barl-Karth 『 詐称ではないのですね? 確認のため質問します。』 (2007/10/17 22:16)

revolu 『詐称ではありません』 (2007/10/17 22:17)

Barl-Karth 『 では,確認します。あなたは今年の9月ころまで「東大生(東大学部在学中)」であり,かつ,「東大卒業生(いつ卒業したかは敢えて訊きません)」であると理解して差し支えないのですね。』 (2007/10/17 22:20)

revolu 『ああ、本当は卒業していたけど、いろいろまずいので学生という設定だったことは認めます。気が変わったので設定を変更しただけです。』 (2007/10/17 22:21)

Barl-Karth 『「(東京大学)学生という設定だったことは認めます」というのは「本当は学生(学部生在籍中)ではない」のに「学生である」と詐称したという理解でよいのですね(しつこいようだが確認)。
 (質問に答えるかどうかは自由ですが)「いろいろまずい」理由は何ですか?』 (2007/10/17 22:25)