よれよれの裁判員制度(ボ)経由

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/57583.html

たとえば、死刑選択もありうる裁判員への参加に、宗教的な信念で強い葛藤(かっとう)を覚える場合は辞退できる。裁判員の仕事に心理的不安が強く、体調を崩す可能性が高い人も該当するという。しかし、単に「人を裁きたくない」という理由では辞退は難しそうだ。

 宗教的な信念????
 この種のセンシティブな情報を国家権力に疎明しないといけないのか? 私はとっくの昔に洗礼証明書をなくしてしまったし、牧師から「教籍簿(写し)」をもらうような元気もない。私の妻も同様だ。


 この種のことを地裁 裁判長に判断させるのには、大変不安を覚える。
 たとえばの話、ルター派アウグスブルグ信仰告白において、「この世の権力」に参画し「人を裁く」事を許容している(裁判所等における「宣誓」も同様。イエスは「誓うなかれ」と述べている)。おそらくローマ・カトリックでもオーソドックスでもアングリカンでも同様と思われる(ルター博士 「現世の主権について」(いわゆる二王国論 等)。その上話し出すときりがないが、日本には、ルター派系教団が5−6ありファンダメンタル指数は、バラバラなのだ(いわゆる「二王国論」を信認していない教派もあるらしい)。
 カルヴァン派はよく分からない(いっぱい分派がある)。
 たとえばの話、ローマンカラーをした神父風の服装や修道女服を着用している人が裁判員候補に指名されて、当該の服装で裁判所に出頭したら、裁判長はどう判断するの? ひだ襟とローマンカラーとアングリカンカラーの区別も出来ない癖して。聖公会の牧師さんは、裁判官の法服みたいなのを着て、街中で買い物しているんだぜ。
 日本基督教団はおそらく各教会ごとに異なる対応をとるだろう。
 しかし、「良心的兵役拒否」を信条としているゼクテ(アーミッシュ・ブレザレン・メノナイト・エホバの証人内村鑑三系の無教会派)はこの辺を(「人を裁くなかれ」と言うイエス様の言葉)をファンダメンタルに信じている。
 そのような宗教社会学的・キリスト教神学的知識を地裁刑事部 裁判長の全てが持っているとは到底思えないのだね(ちなみに当職は「宗教と社会学会」準会員なので、普段から勉強している。この種の知識を持っているのは、〇田〇支部のI・K判事さん(民事部)くらいだと思う)。
 そういう学問的知識(深く広い)がなくて、上記記事のような判断を裁判長が的確に出来ることは有り得ない。

 それとも何かね、各地裁図書室(資料室)の蔵書として、「キリスト教各派 信条告白集」でも買ってくれるかね。たぶん読んでも分からないだろうけどさ。

 仏教のことは詳しくないけれども、たとえば、浄土真宗では「お東」と「お西」で違った教学なのかもしれない。日蓮系でも富士山派と身延系では違うかもしれない。