公聴会

 本年2月1日「裁判員裁判に関する公聴会」が行われた。30名弱の少ない会員が参加した。
 私はキリスト者なのでキリスト者(その他特定の宗教的信念を信認している者)にとって,「裁判員辞退権なし」がいかに過酷な負担であるか説明した(ルター派二王国論ー軍人は人を殺しても地獄に行かない−と,良心的兵役拒否を教義をしているゼクテとの違いはある)。」これに対して,ある長老(この人はカトリックの幼児洗礼を受けている)から「証人としての出廷義務,その際の宣誓」と「裁判員としての出廷義務,その際の宣誓」にどれほどの違いがあるかとの質問があった。
 私は聖書にある「殺すなかれ(十戒 原典のヘブライ語では「殺人罪を犯すなかれ」)」,「誓うなかれ,裁くなかれ(福音書におけるイエスの言葉)」を字義通りに信じているゼクテにとっては耐えられない苦痛だろう。他方,「誓うなかれ」を文字通り実践しているゼクテのために証人宣誓に当たって「誓う」という言葉を避け「確約する」という宣誓文が用意されている旨説明した。
 クリスチャンの中で「裁判員拒否」の態度をとるであろうと考えられるのは「聖書字義解釈グループ(ファンダメンタルの一部)」「良心的兵役拒否ゼクテ」だけに限られない。いわゆる社会派的プロテスタント教会NCCの大部分,JEAのかなりの部分),「カール・バルトの信奉者」カトリック教会も「拒否」に廻るだろうと説明した。これらはかなり強固に「死刑廃止」を主張している。浴田という東アジア反日武装戦線のメンバー(死刑囚)はバプテストの信者であった。聖公会の母体である「アングリカンコミュニオン」のお膝元(イギリス)は死刑廃止国である。大韓民国は,最近,事実上死刑廃止国になったようだ。そうすると韓国系教会(在日大韓キリスト教会,韓国系ペンテコステ・カリスマ派教会)も裁判員反対に回る可能性がある。