可視化?

 最近,日弁執行部や関連委員会は「可視化フィーバー」(←ちょっと古い言葉遣いだろうか?)なのだが,当職は,このフィーバーに少し違和感を感じる。
 「取調の可視化」というのは,その暗黙の前提として,「被疑者は捜査当局の取調を受ける義務がある」ということを当然視してはいないだろうか?
 平野龍一先生は,決してそのようなことを言ってない。勾留は,取調のためにあるのではない。被疑者は,代監の居房から取調室に運ばれない権利(取調拒否権)があるはずだ。検事調べのために押送されることを拒否する権利も同様の筈だ! これは,日弁連の通説ではないだろうか?
 だいたい,「一部可視化は全部可視化への一歩前進」なんて寝ぼけたことを言っているのが,日弁可視化委員の実体なんだ。「全部可視化」なんてできるわけないことは日弁も分かっているはずだろう。
 「可視化運動に惑わされるな」というチラシは,多少違和感があるけど,良く読むと,なるほどと思う。
 可視化も大事だが,「取調拒否」「取調弁護人立会権」「黙秘権の実質的・全面的保障」の方がそれよりも大事だろう。
 最近ある種の「完黙事件」の弁護を受けた(私選)。「○○さん 取調を拒否して居房からでない という考えはなかったのですか?」
 と聞いたら,
 「留置場(警察署代監)には抵抗するために捕まる場所(鉄格子等)がないんです。トイレの金隠しに捕まるしかないですね。」と述べていた。
 「今度何かやってパクられたら,取調室移動を徹底拒否して,居房からでないで下さい」
とアドバイスしたら,
 「次のときにやってみます」
とにこやかに答えていた。