裁判員に対する報復の懸念

 裁判員制度に反対する理由・懸念の理由として,「裁判員に対する報復の不安」ということが良く挙げられる。
 この懸念に対する反論としては,以下のようなものが挙げられる。

http://www.j-j-n.com/opinion/080601/080601.html

報復の不安
 被告人やその支援者らからの報復を恐れる意見もある。しかし,考えていただきたい。これまで,裁判官は,全国で毎年数万の刑事事件に判決を下しているが,報復を受けたというニュースは聞いたことがあるだろうか。何十年か前に,過激派から狙われた裁判官が報道されたことがある以外に,私の記憶にはない。被疑者と直接にかつ長く対峙し,恨みを買いそうな取調警察官でさえ,そのために報復を受けたという報道を,ほとんど聞かない。ということで,心配を解消していただければと思う。(報復声明などで,裁判員に対する報復が現実に心配される事件は,裁判員裁判をしないで,職業裁判官だけですることになっている。裁判員法3条)

 私の記憶のかぎりでは,自転車で出勤途中の地裁裁判官が襲撃された事件がある。「不当判決」を糾弾するために某セクトが裁判官室にカチコミに行ったという椿事もあったらしい。
 何より忘れていけないのは,松本サリン事件である。まぁ,これらの事例を数に入れても裁判官に対する報復は,戦後数件くらいだろう。

 しかし,考えてみてほしい。裁判官は,このような報復や裁判干渉を受けないような2重3重の保護を受けている。

1 裁判官は「官舎(鉄筋アパート)」に住んでいる。官舎のある場所は地域の自治会にも属さず,近隣住民(被告関係者・被害者関係者)とのつきあいもほとんどない。官舎に住んでいる裁判官は,町内会の盆踊りに参加せず,官舎住民で独立して盆踊りを踊る。生協にも入らない。花火大会も裁判所庁舎の屋上で見物する。
 自宅(官舎)の電話番号は公表されていないし,職場の電話は事務官・書記官が取り次ぎ,自らが電話に出ることは全くないと言って良い(弁護士からの電話でさえ,ダイレクトに出てくれないのですよ)。裁判官執務室は一般人も弁護士も容易に近づけない「奥の間(例えば忍者屋敷みたいな二重廊下の向こう側・二重の扉で防護・裁判官室と公衆用の廊下とは,完全に隔絶されている)」にあり,立入禁止とされている。
 大都市部の裁判官は送迎バスを利用している(田舎地裁は自転車通勤が結構いる。お昼休みにランニングシューズを装着し,走って本屋に赴き,本を立ち読みしている判事補もいました。←使用窃盗の構成要件に該当するのじゃないかしら?)。地裁部総括級になれば,黒塗りの公用車を使う権利もある。要警戒事件担当であれば,よりいっそう「報復・嫌がらせ対策」があるだろう。そういう対策を策定してくれる優秀な事務官・書記官がいるのだ。そうですよね。tamago先生! tamagoおばさんは,松戸支部官舎のお風呂に随分ご不満をたれていますけど,それは別問題ですから。
 (余談 新潟地裁所長の官舎は新潟大学医学部直下にある−戦前の地裁所長は馬車で出勤・退勤していたそうで,その名残で,地裁所長官舎には今でも馬小屋があるそうだ−。2月ころ−午後9時過ぎ?−宮寿司周辺を徒歩で退勤していたK.S.所長を危うく轢きそうになった。スキューバーダイビングの練習の帰りに,夜9時ころ古町1番町交差点付近で傘を差しながら自転車で官舎に向かう刑事部部総括もやっぱり轢きそうになった>anegw判事)。
 新潟地裁支部 支部長(私より5期くらい後輩)と雑談をしたことがある。

Barlの問い
 ○○支部長! 休みの日は終日官舎に籠もっているそうですが,気晴らしはないんですか?

○○支部長回答(暗い表情)
 官舎にアップライトピアノがあるので,ショパンとかモーツァルトピアノ曲を弾いてストレス解消しています。バッハですか? まぁ嫌いじゃないけど,あのようなカチカチコチコチした曲を弾くと頭や肩がこるんですよ。右手と左手で全然違うフレーズを弾くわけでしょう? バッハはストレス解消になりませんですね。

Barlの問い
 街中のスナックや飲み屋に繰り出して,美人ママに悩みを打ち明けたり近隣住民と酔っぱらい同士で馬鹿話をしたりしたら良いんじゃないですか?

○○支部長回答(益々暗い表情)
 僕もそうしたいと思っているんですよ。でもこの支部は人口数万人の狭い町を管轄しているでしょう。飲み屋で事件関係者に鉢合わせするとバツが悪いすからね・・・(仕舞いに泣きそうな表情になる。「裁判官なんて官舎と裁判所の往復で一生を過ごすのだから,無期懲役囚みたいなものです」とかクダを巻いていた。同支部長も3年間田舎支部長を務めて,首都圏の高裁に転勤した様子)。
 岡口基一裁判官は,現在大阪高裁左陪席のご様子ですが,これほどの大都市であれば,隣にいる酔っぱらいオヤジが事件関係者である可能性は,圧倒的に低いです。大都市圏の裁判官は,匿名性が確保されます故,酔っぱらってその辺でゲロを吐いたり,カラオケで高歌放吟したり,バーのママに絡んだりしても<裁判官の威信を害する非行>として摘発されることはないのですね。
2 裁判官は,短ければ2年,長くても4年で転勤する。仮に被告人・被害者から恨みを買っても「1」のような庇護の下,その期間をやり過ごせば,お礼参りの可能性はほとんどなくなる。

これに対し,裁判員の置かれた立場はどうだろう。

1 裁判員となる人は,裁判が行われる地域コミュニティの住民である。そこにマイホームを建て,子どもや孫を地域の学校に通わせ,自治会に属してゴミステーション当番やら盆踊りやらをやっているわけだ。地域コミュニティには,被告人関係者や被害者関係者がメンバーに属しているかもしれない。自宅がどこにあるか・どこに勤務しているかなど隠しようがない。
 裁判官という「雲の上の人々」に比べればその環境上の違いは,これ以上の説明を要するまでもない。

2 確かに裁判員に対する暴力的なお礼参り,明白な嫌がらせは,実際心配するほど発生しないかもしれない。しかし,前記したとおり,被告人・被害者関係者は近隣住民かもしれないのだ。根も葉もない誹謗中傷・陰口に悩まされ,子どもや孫がいじめを受ける可能性は,否定できないのである。
 被害者関係者からは「裁判員の○○さんが『懲役15年』と大きな声で意見を言ったおかげで,刑が軽くなった」とうわさ話をたてられるかもしれない。逆に被告人関係者から「裁判員の○○さんが『被告人は犯人に間違いないはずだ」と述べたばかりに有罪になってしまった」と言うようなうわさ話もあり得る。裁判員であった○○さんは,終生にわたる守秘義務を課せられており,このうわさ話を打ち消すような言論−俺は合議の際そんな意見を述べていない云々−は絶対にできないのである。
 そのようなやるせない秘密・言いたくてもいえない意見を抱え込みながら,○○元裁判員は,地域社会から逃げ出す−転勤−すべもなく子々孫々汚名をきて生きていかなければならない。

3 報酬
 裁判員裁判の責任者である部総括(地裁裁判長)は年間2000万円近い報酬を受けている。人の命を奪ったり(被告人から恨まれる)無罪放免としたり(被害者から恨まれる)そういう気苦労の多い仕事,尋常の精神では耐えきれない仕事,場合によっては体を張らなければいけない仕事である。だから,国民は,その血税から,裁判官報酬を支払っているのである。このような仕事を日常としている裁判官を,私は尊敬している。裁判官は,そのような「本来神でなければできない<裁き>」を自らの自由意志でその職としたのである。
 対して,裁判員はどうだろう。1日1万円の日当で,人の命を奪い,無罪放免としたり,そんな仕事をできるだろうか? 呼び出し状で否が応でも徴用されたに過ぎない裁判員に,かくも厳酷な負担を課するのは,どう考えても憲法違反だろう。