目的的行為論

 法学部学生は(今はどうか分からないけれども)古典的な刑法の教科書の目次の順番で,刑法総論の勉強を進める。
 刑法の意義,性格および機能,刑法の法源罪刑法定主義,刑法の時間的適用範囲(団藤綱要)

 この辺をさらっと,勉強した後−これはそれほど難しくない−,いきなり「第二編 犯罪 第一章 犯罪論の体系 三 行為」という迷路にぶち込まれる。
 今,受験生時代に使った教科書(団藤)の「第一章 二 法規範による評価とその対象および資料−刑法の存在論的基礎−」を読み返しているのだが,書き込みでてんこ盛りだ。表題の下に「難解」と書き込みがあり,表題の上の方に「Neue kantianer?」と書き込みがある。ともかく「?」が5個くらい書き込んである。
 「三 行為90−103ページ」良くもまぁ,こんな難しい問題を理解(せいぜい司法試験合格レベル程度)できたものだと思っている。

 「<行為>って,犯罪論体系のどこでどのような位置づけがされているのか?」,その辺が分からなかった。「犯罪とは,構成要件に該当する違法にして有責な行為である」というのが,刑法総論の標準的理解であるが,この命題は,
「犯罪とは行為である」
「犯罪とは構成要件に該当する行為である」「犯罪とは違法な行為である」「犯罪とは有責な行為である」
に分解される。
つまり,「行為」は

「犯罪」という評価
「構成要件該当」という評価
「違法」という評価
「有責」という評価

が下されるところの「評価の対象」と位置づけられる。「行為」は「構成要件−該当−」「違法−有り−」「責任−有り」という判断(評価)枠組みからはみ出している。「<ある○○−所為??−>は<行為である>という<評価」>は前刑法的・前実定法的評価なのだろうか??? それは評価という「規範的・価値的判断」ではなく,科学的・哲学的領域に属するものではないのか?

 そういうことを18〜19歳くらいの若造がグジャグジャ考えて,ゼミで報告した。
 「なんか哲学的でよく分からない」と報告を総括したら,ゼミの先生は,
 「確かに分からないよね。はい,哲学的問題はこれで終わるとして,次のゼミの報告は,『法人の処罰根拠』ですよ。 なんか,きわめて世俗的な問題になっちゃうけどね。報告者は頑張って勉強してください。うぎぁぎゃぎゃぎゃ」

といっていてた。