キリストにはかえられません


http://promises.cool.ne.jp/I'd_rather_have_Jesus.html
MIDIファイルは,聞かない方がよい)
http://www.youtube.com/watch?v=jyJsFjzGrq0

 寂しくなったり,辛い思いをしたり,苦しくなったりすると,やっぱり讃美歌や聖歌を歌う。でも,ちょっと変だなぁと思う歌詞も多いよな。


         キリストにはかえられません
           世の宝もまた富も

 このような讃美が口をついてでる人って,世の宝・富に飽いてしまった人ではないだろうか? 世の宝・富に無縁な人は,このような讃美を思いつくはずがない。あるいは,「宝・冨」に無縁な生活を正当化する僻み根性?の歌かもしれない。


        世の楽しみよ去れ世の誉れよ行け

 このような讃美もまた,世の楽しみを味わいつくし,世の誉れを受け尽くした人にのみが言える讃美ではないだろうか? 例えば,栄華を極めたソロモンみたいな人。「空の空,空の空なり,この天の下で起きることはすべて空なり」って,仏教的な悟りだろう。



       キリストにはかえられません
        有名な人になることも
         人のほめる言葉も
        この心をひきません

 およそ評判の良いこと,誉れ高きことを追い求めなさい(パウロ書簡 ピリピ 13?)と少し矛盾するのではないかな? この讃美は。

 のみならず,このような讃美は,「有名でない人,人にほめられない人」が口にする讃美ではないのだろうか? 
 私は,図らずも有名人になってしまい,人様からほめられているのだが(もちろん貶されることもある),そのこと自体が,とても苦痛だ。おちおち,酔っぱらって街をほっつき歩くこともできない。20分くらい歩くと,誰かから声を掛けられたり,挨拶されたりって,どんな生活だよ。

 まぁ,良き妻,良き子どもに囲まれていることは,幸せなことではあるかもしれない(「我が妻子もとらばとりね。」>神は我が櫓輪 ルターのドイツ語元詞 とは歌えない。)