ラッツィンガー(現ベネディクト16世)の説教について

教皇のメッセージがかなり紹介されている。
http://d.hatena.ne.jp/karpos/20050420#p1
 (ΚΑΡΠΟΣさんのブログ)


「教会の信仰宣言(クレド)に基づいた、はっきりした信仰をもつことは、しばしば原理主義者のレッテルを張られます。」
これには、全くのアーメンだ。「原理主義」という言葉には、もともと非難的意味合いはなかったのに、リベラルの連中が、非難的な文脈でこの言葉を使い始めた。その上、afoのブッシュ(や一部のイスラム原理主義で)の言動で、ますます、「原理主義」に対する非難が高まった。
 
コンクラーベにおけるラッツィンガーの説教は、おそらくプロテスタントでも違和感なく受け入れられるもので、特にローマ教会臭さは感じられない。

しかし、困ったものだ。私は、ルター派ではあるが、信仰的には、かなり原理主義に近い(穏健福音派カルヴァン系)の牧師から「センセー、僕以上に原理主義だね」と言われた。)
大体、ブッシュを支持するいわゆる原理主義キリスト教勢力は、私から言わせれば創価学会みたいなものだ。創価学会が、一応は「仏教」と分類されているのと同じ意味で、「アメリカの一部ファンダメンタリズム」は一応は「キリスト教」と分類されているにすぎない(かなり極論だが)。
ラッツィンガー(当時は枢機卿)の言葉をさらに引用する。

「すなわち、神の子、まことの人間という測りです。彼こそが、ほんもののヒューマニズムの測りです。」
かつて、近代以降の教皇(や高位聖職者・プロテスタントファンダメンタル系)で、「ヒューマニズム」という言葉を肯定的な意味合いで使った例を、私は知らない。プロテスタントファンダメンタルやローマ・カトリックでは、従来「アナテマ」の烙印が押されていた言葉だ。
その他、各種政治哲学(特にアメリカ現代政治哲学)の流行への言及は簡潔なものであるけれども、ラッツィンガーが単なる「信仰馬鹿」「ファンダメンタル馬鹿」ではなく、哲学・政治哲学(もちろんキリスト教神学・哲学)への造詣が相当あることを感じさせた。
学生時代、ケルゼン、ポパー、ライヘンバッハ、トーピッチュ、碧海純一(まだご存命か?)、新カント学派、リバタリアニズムと渡り歩いたうえ、現時点では「絶対主義」に位置している私にとっては、何となく、ラッツィンガーさんの思想遍歴(そして思想遍歴から得た現時点における到達点)が分かるような気がする(僕は未だ40代前半だけどね)。

一部で評判が悪い教理省発出「ドミヌス イエスス」

http://www.cbcj.catholic.jp/senken/domies1.html

については、後日を期す。

#おまけ

http://images.google.com/images?q=Ratzinger&svnum=100&hl=ja&lr=&start=40&sa=N