パキスタン中古車業者からの招待

少しご縁のあるパキスタン人の中古車輸出業者が、このたび当地で3000坪の土地を買い、支店を拡張した。で、ご招待を受けて、この間の日曜日に開業記念パーティーに行ってきた。
午後2時にオープンセレモニーということだったのだが、なし崩し的にセレモニーが始まり、3時半ころから、本格的にゲストの挨拶とかが始まった。なぜか、ついでに在日パキスタンクリケットリーグ戦の表彰式もあった。

一番のゲストはデリー在住のとても偉いイスラム神学者。ありがたい説教があった。

ISBN81-89202-06-5

等の著者である。展示即売会をしていたので私も購入し、著者のサインをいただいた。日本在住のイスラーム神学者(兼大学教授)も説教をされた。
パキスタン大使も出席の予定であったが、母国でのっぴきならない用事があったらしく代理大使と三等書記官(バリスターらしい)が出席した。

イスラームというのは、単なる宗教ではなく生活であり、文化であることを実感した。
喉自慢みたいにして、3人くらいがイスラームの歌(なんと言うのかわからないが、例のやつ)を歌う。(私は、日本人と同じテーブルでタバコを吸いながら歌を聴いていた。「あの歌は何なんだ」と同席者が言うので「念仏音頭みたいなものでしょう」と言ったら妙に納得していた。)

いよいよ主催者の挨拶。要旨は以下のとおりであった。

私は、この4年間で急に儲かり始めた。私は、以前は、妻子を省みず、家にも帰らずに仕事ばかりし、儲けた金で飲み歩く生活をしていた。しかし、あるきっかけで、そのような生活から改心し、神様のためにお金を使うようになった。私たち兄弟と父は力をあわせてパキスタンに病院を建てた。4000万円かかった。お金のない人のためにタダで診察したり薬をくれる病院だ。
今まで、私は、人を相手に商売をしていた。でも、4年前からは、神様を相手に商売を始めた。同業者の皆も、同じように神様を相手に商売を始めると儲かるし、皆に喜ばれるぞ。

「神様を試す、神のためにお金を使う(十一献金と呼ばれてもいる)」、というのは、マラキ書を連想させるものであった。これに似たような「証」キリスト教福音派ペンテコステ派でも語られるのだが、そういう「いかがわしさ・うさんくささ」は、−同じようなことを語っているにもかかわらず−全く感じられなかった。ごく自然で、何の違和感も感ぜられない自然な「証」であった。語っている彼も本当に心から・喜びながら語っていた。
同じテーブルに座っていた日本人も「いい話だよなぁ。俺も少しは、まじめに仕事をして家族を大事にしようかなぁ」としみじみ反省している様子であった。クリスチャンが同じようなことを語ったら、たぶん反感を買うのじゃないかな(笑)。

詳細は書けないが、私はこの経営者の4年間の苦労、その後の成功を少しばかり知っている。だから、彼の言葉には、少しの誇張もないことを知っている。

日の暮れる少し前から、ヤギ・羊・牛・ヨーグルトサラダ等の食事があり(期待していたのだが、やっぱり酒は出なかった)、熱心な信徒は、夕暮れ時のお祈りを始めた。