「第九」について

私は,これまでアマチュア合唱団で,数十曲歌ってきた(古くはパレストリーナ,新しいところでは,ラター<存命>)が,ベートーベンの第九だけは歌ったことがない。(仲間内で,いたずら半分で歌ったことはあるけど)。ベートーベンで歌ったことがあるのは,ミサ・ソレムニス(123番)だけである。(独唱曲を家で歌ったことはある。)

当地でも,年末に「第九」が演奏され,数ヶ月前から,合唱練習が始まるのだが,参加したいとも思わないし,聞きたいとも思わない。理由は,いくつか挙げられる。

   1 歌詞が悪い。
フリードリッヒ・シラーの「歓喜に寄す」だが,はっきり言って,駄作だと思う。典拠は示せないが,シラー自身,「あの詩は,若気の至りで書いたもの」と述べている。
純粋に非宗教的な曲であるなら,私も抵抗感なく歌うことができよう。しかし,シラーのテキストは,キリスト教的神を扱いつつも,正統的信仰から明らかに逸脱した,啓蒙主義ヒューマニズムであり,汎神論である。ファンダメンタルの私としては,このテキストには,あまりにも抵抗感がある。

   2 曲が変
第4楽章のどこが変か,いちいち指摘しないが,テナー(天体の運行がどうした)の前のチンドン屋猿踊りマーチは,止めてもらいたい。私に編曲権限が与えられていれば,あそこは,ティンパニとトライアングルの前奏の外は,絶対にカットする。

   3 合唱のパートがおかしい。
バスのパートでも「何でここでオクターブ上がるのか?」良く理解できないフレーズがある(ウン デン ヒェルブ シーート ファン ガーートあたり)。ソプラノの人に言わせると「第九は危険。喉を痛める」という。確かに,ラより上で全音符が4個くらいスラーでくっついている所があったと思う(手元に楽譜がないので,後で確かめる。)
ミサソレでも,バスが「ソ」まで出したり,数え間違えたりする全音符スラー5連続みたいなものがあるが,ベートーベンの最高傑作といって良いので,我慢して歌う。

   4 合唱団員の質が低い。
中にはベテランの合唱団員もいるのであろうが,「合唱初めて,ドイツ語にカタカナを振る。歌詞の意味も理解しない。RとLの区別も付かない。巻き舌ができない。あるいは,極端に巻き舌をやる。もちろん楽譜も読めない。ピッチはずしまくり(はっきり言うと訓練不足音痴)」という人たちと付き合うつもりは絶対ない。
私は,不安神経症の症状かもしれないが,ピッチのずれや間違った音に極端に敏感なのだ。そういう音や声を聞くと,背中に電気が流れたような脳みそが壊れそうな精神的激痛を感じる。(小学校の曇りガラスを爪でひっかくと,そういう症状が現れる人がいるが,それと似たようなもの)。

   5 聴衆のマナーがなっていない。
第1から第3楽章までは眠っている,あるいは,隣の家族とおしゃべりをする。第4楽章からホールに入場して楽章の合間なのに拍手をする。で,お友達の○○さんに手を振ったりする。有名な例のフレーズを鼻歌で一緒に歌う。
はっきり言って,こういう連中が聴衆の大半なのだ。
当地の第九では,新潟県知事(最近引退)が第九を歌うのだが,この人は,まぁ,上手らしい。娘さんは,チェロ弾きらしい。
ともかく,「つきあいでチケットを買ってマナーも知らないでホールに来る連中」の前で歌いたくない。