「検事控訴」

数週間,日記をサボってしまった。まぁ,メディア報道されているから証してもいいが,新潟市におけるある大きな刑事事件で大変な思いをしていたのだ。刑事弁護士としては,かなりのキャリアを積んだつもりだが,「検事控訴」食らったのは,初めてだね。しかも,控訴理由が「量刑不当」と来たもんだ。「死刑求刑・判決無期」じゃあるまいに,何考えてんだ,東京高検!! 「第1号事件」で敗北したのがそんなに悔しいのか?
弁護人は,いつもいつも悔しい思いをしながら,仕事を続けているのであって,たまには,検察が悔しい思いをしてもらったってバチは当たらないと思うが(この法原理を「法の下の平等」という),ひたすら・もっぱら己の面目を保つための「検事控訴」が関係者にどれだけの迷惑と困惑と混乱を惹起するか,分かっているのだろうか?

「弁護人・被告人 量刑不当控訴」で,私選弁護人が,いくら金がもらえると思っているのだ? 「無駄な抵抗は止めようょ」と言っても言うことを聞かない被告人さん(依頼者)は時々いるもので,その際に新たに着手金をもらうなんて浅ましいマネはできるものではない。せいぜい,旅費(グリーン車)・日当(数万円と消費税)・書面の書き賃(30分5000円と消費税)だよ。で,格別の事情がない限り「控訴棄却」で,弁護人は,関係者(依頼者を含めて)から,あれこれ言われる

それに比べ,官側にいる検事諸君! 君たちが本件で「量刑不当控訴」をして,誰が喜ぶのか? 誰がいらぬ骨折りをするのか? 「死刑か無期か」の「ガチンコ勝負」で検事が負けたのなら「検事控訴」も理解できなくはない。そのような事件の背景には,遺族の悲痛な叫び,「人を殺して何故死刑にならないのか」という民衆の愚直な法感情があるからだ。
しかし,このたびの事件で,いったいどこの誰が,「検事控訴」を希んだのだ? 東京高検の幹部だけだろう,外に誰かいるのならば言ってみろ。
断言するが,市民の誰もがこのたびの地裁判決に納得していた。このような「いたずらに人に迷惑を与えせしめ,市民の健全な法感情に反する」がごとき控訴は,今からでも遅くはないから,取り下げてもらいたい。