モーツァルトに基づく基礎法学としての法音楽学の可能性について(1)

法社会学法哲学法経済学,法人類学(?K先生?),法史学という基礎法学は,既に日本においても,法律学の一分野として,認知されている。欧米では「教会法学」はもちろんであるが,「法神学」,「法文学」もフィールドのカテゴリとして確立されている様子である−恐らくは遅くともグスターフ・ラードブルッフあたりから−(日本でも多少はこの分野の研究者はいる)。
「法オペラ学」という学問分野がでっち上げられないものかなぁ? と時々考えることがある。どうしてか分からないけど日本の法律家や法律学者(特に刑法学者と法哲学者)は,クラシック音楽・声楽・オペラに異常に詳しい人が多い。かなり前,銀座のヤマハの地下で音楽書や楽譜を立ち読みしていたら,ボイストレーニング本(声楽家御用達の耳鼻咽喉科医が著したもの)に碧海純一先生が序文を書いた(ニクソンがメガネを掛けたようなご尊顔入りで『プロヴァンスの何とか(ヴェルディ?)』について蘊蓄を傾けていた)。碧海先生は,「第九のGötterfunkenの意味が分からなかったが,最近やっと意味が分かった」というような枕で始まる論文を書いている(内容は忘れたがヘーゲル弁証法批判だったと思う)。
私の○○法の先生もピアノとバレエがお得意で,自宅訪問をしたらモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」をひたすら弾いていた(普段の生活では,研究室でドイツ語の文献を読んで<タヌキとムジナ,ムササビとモマ,タラバガニとズワイガニとがどう違うか等の>複雑難解なことばかり考えているので,こういうひたすら明るく楽しいハ長調な曲で精神衛生を保っているのであろう),私の先生の配偶者も○法学者で,その方はワグネリアンらしい。

「Barl君,ワグナーってどう思う?」と先生に聞かれたので,「あんなの『名場面集』だけ聴けばいいと思います。ライトモチーフって言うんですか? 同じようなことを区切りもなしにぐだぐだだらだら何時間も歌っているんでしょう? ていうか,あれは歌なんでしょうか? 「歌」というのは暇なときや散歩や勉強している折りに口から出るものだと思いますけど,歌というものをそのように定義するとすれば,あんなのとても歌とは言えませんよね。」「だよね。うちの亭主なんて,パルジファルとか何とかのLP6枚セットを聞き通しているのよ。いっくら何でもおかしいと思うわ。」「ですよね。ワグネリアンて性格が変奇で粘着質な人が多いと思います」と延々と与太話が続くのである。

なんか,論点をどんどんと逸脱していて,なかなか本題につながらないのだが,私が論じたいのは「モーツァルトフィガロの結婚における婚姻予約の有効要件に関する一考察」なのである。「裁判の場」のアンサンブルでドン・バジーリオが「けいやーくは無効(音友ピアノスコア)」と歌っているところなのだが,続きはいずれ書く予定。