実務家による体験的刑訴法学習方法

司法試験では,刑訴法を選択していた(今は両訴を受験しないといけないらしいけど)。教科書は,平野・団藤,参考書として,田宮裕先生を読んだ。口述対策で,渥美東洋を読んだけど,当時の私には解読不能であった(一説によれば,渥美先生が英語で原稿を書き,同夫人がこれを和訳していたらしい)。

刑訴法学習者にとって,一番の難関は,「公訴事実の同一性」であろう。「同一性とはどういうことなのだろうか?」という(哲学化・抽象化した)問題を考えながら,横浜駅の地下街をくぐり,だらだらと坂道を上り反町方面に歩いていたら突然,「同一性」とは何か,天啓を受けた。「同一性とは,「これ」と「あれ」とを比べての同一性なんだ。「これ」と「あれ」とは同一であるわけがない。しかし,性質において同一だから同一『性』なんだ。」

 これと→  (^_^)/~  ←これと  は同一だ,といっても当たり前だ。

 (^_^)/~  と  (^_^)/~ とは同一だといって,初めて実質的な意味がある。

 (^_^)/~  と  (゜Д゜) とは同一なのか?

 (゜Д゜) と  モーツァルト とは同一なのか?

同一であるといえば同一であるし,同一でないといえば同一でない。結局「同一」というのは,対象に内在する性質ではなく,「同一かどうかを判断する者評価であり,評価の基準は,類だ」ということをやっとこさ,悟ったのであった。今考えてみると,頭の中を哲学的・論理的に整理した結果に過ぎない,平凡な結論なのだが・・・,当時は,「俺はカント以来の天才かも知れない」と思った。

それで,「公訴事実の同一性」という刑訴法の難問もやっと分かった。「今まで,なんて馬鹿みたいな迷路に迷い込んでいたのだろう」と思った。

(以下,連載予定
 公訴事実の同一性
 訴因変更命令の形成力
 国家権力の国家権力に対するパターナリズムとしての訴因変更命令・当事者主義の例外?)