検察庁による捜査書類偽造(情報コントロール権・適正処罰請求権)

   検察庁による捜査書類偽造(情報コントロール権・適正処罰請求権)
平成17年(ワ)第XX号 国家賠償請求事件
原告 T
被告 国

準備書面
N地方裁判所N支部 御中
平成18年2月24日
原告代理人弁護士 O
同        Barl-karth

第1 原告の適正処罰請求権について
1 被告の準備書面(2)(以下,「被告書面(2)」という)の主張について必要な限度で反論する。
2 平成16年法律第161号「犯罪被害者等基本法」の第3条第1項は法律の基本理念として「すべて犯罪被害者等は,個人の尊厳が重んじられ,その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」と規定する。この規定はたとえば,アメリカのユタ州憲法第1条の28項にある「被害者は公正,尊敬及び尊厳をもって取り扱われねばならない」と同じ内容である。わが国の犯罪被害者に対する施策は,これまで極めて遅れた状況にあったが,ようやく具体的な政策策定の第一歩を踏み出したと言える。
3 最高裁は昭和53年10月20日の第二小法廷判決によって職務行為基準説を取ることを明らかにしたが(最高裁判例解説民事篇昭和53年度475頁),本件について言えば,検察官の捜査・訴追の違法性の判断が問題である(最高裁判例解説民事篇昭和61年度100頁)。なお,被告書面(2)1頁の第1の1の第二段落は不要な記述である。
第2 原告の主張する適正処罰請求権は法律上保護された利益であるか否かが本件における第一の問題である。
1 最高裁平成17年4月21日の第一小法廷判決(判例時報1898号57頁以下)に基づいて被告書面(2)は原告に対する反論を展開している。被告書面(2)の第2の2の第一段落でこの判決の多数意見が紹介されているが,その内容はそのとおりである。
 第二段落の被告書面(2)の主張は誤っている。すなわち,被告書面(2)は最高裁平成17年判決の事案の被害者は強盗強姦罪と言う個人的法益の罪の被害者であるのに対して,本件で問題となり得る罪は虚偽公文書作成・同行使罪であるから,最高裁平成17年判決の被害者と同列には論じられないと主張する。しかし,本件の被害者は業務上過失傷害の被害者なのであり,この点で被告書面(2)の主張は間違っているのである。
 最高裁平成17年判決の被害者は自分が提出した加害者の精液が付いた紙等の証拠品を事件が最終的に終結する前に警察官に廃棄されたのである。泉裁判長は反対意見において次のように言う。「・・・犯罪の被害者がその所有に係る証拠物について有する利益は,被害者が捜査機関の捜査によって受ける利益とは別個のものである。犯罪の被害者は,個人の尊厳が重んじられ,その尊厳にふさわしい処遇を保障される人格的権利を有するものであって,刑事手続における告訴権も,人格的権利の一部をなすものということができる。被害者がその所有に係る証拠物を捜査機関に提出するのは,犯人の検挙・処罰に役立てることを目的とするものであって,告訴権の行使の一内容,あるいは告訴権に類似する人格的権利の行使と言うことができ」(る)と。
2 泉裁判長の反対意見の骨子は以上のとおりである。本件の被害者はK事務官が電話聴取書をねつ造する前に本件事件の担当警察官に対して「厳重に処罰してくれ」と意見を言っているのであり,本件の被害者はK事務官によってこの処罰要求を否定されたのである。最高裁平成17年判決の被害者よりも,本件の被害者の方が告訴権の行使,あるいは告訴権と類似する人格的権利の行使を妨げられた程度は,むしろ高いと言うべきである。最高裁平成17年判決の泉反対意見は,本件の場合にもまさしく妥当するものなのである。本件におけるK事務官の行為の法益侵害性は明らかである。
3 N地検N支部の検察官事務取扱・K事務官は本件の被害者の告訴権の一部,あるいは告訴権に類似する人格的権利の行使を保障して,本件の被害者の個人としての尊厳を重んじて,その尊厳にふさわしい処遇を与えるべき職務上の義務に違反して,〓警察の捜査の誤りを正さずに,加害者の主張を鵜呑みにして補充捜査を尽くさなかったこと(参照,沼田「不正確な実況見分調書の作成と損害賠償責任」・『判例から見た警察活動と国家賠償』三訂版,平成3年,三協法規出版株式会社35頁),〓前に準備書面で詳述した加害者の業務上過失とその結果たる業務上傷害を正当に評価せずに,不当にも略式手続を選択したこと,〓50万円以下の罰金の範囲の中で10万円という低い額の罰金を不当にも選択したこと,〓被害者の意思に反して加害者を軽く処罰するために被害者の電話聴取書を偽造したこと等により違法に手続を進めた。このK事務官の捜査・訴追行為の違法性は明らかである(参照,稲葉馨「公権力の行使にかかわる賠償責任」・『現代行政法体系6国家補償』昭和58年,有斐閣40頁以下)。
4 以上述べたように,本件の原告の適正処罰請求権は,少なくとも国家賠償法第1条の損害賠償請求権を根拠付ける法益であると言えるのである。
5 請求原因の追加的主張
 N地検はK事務官の虚偽公文書作成・同行使の犯罪行為を認めたが,原告らには詳らかでない理由に基づいてK事務官を起訴猶予とした。K事務官の電話聴取書の偽造は,上に述べたように,原告たる被害者の尊厳を重んじず,その尊厳にふさわしい処遇をしなかったものであるから,K事務官を起訴しなかったことは,そのようなK事務官の行為を許すことによって,再度,原告たる被害者の法益を侵害するものと言わねばならない。これは,本訴訟提起後に発生した新たな法益侵害行為であり,この事実を新たな請求原因事実として追加する。
 なお,この不起訴処分については,原告において,速やかに告訴(あるいは告発),検察審査会への不服申立てを行う予定である。
第3 原告のプライバシー権と自己情報コントロール権について
1 被告書面(2)の第3は,K事務官の行為は原告のプライバシー権,あるいは自己情報コントロール権を侵害するものではないと主張する。
(1)  被告書面(2)の第3の1は「[最高裁の一連の判例は]・・・プライバシーが一つの明確な内容をもった権利として憲法上保障されているとは述べておらず,プライバシーの権利が未だ判例上確立しているわけではない」,「プライバシーの概念は多義的であり,その内容は流動的であって,最高裁判所は,これを一義的な内容を持った権利として認めることには慎重であるというべきである」と主張する。まず,この点について原告の主張を述べる。
(2) ほとんどの学説はプライバシー権憲法に明文規定はないけれども,プライバシーの権利は人間が自律的存在でありつづけるために不可欠な権利・利益であって,憲法13条の保障する幸福追求権に含まれるとする。参照,芦部信喜高橋和之補訂)『憲法[第3版]』(2002年,岩波書店)118頁,佐藤幸治憲法[第3版]』(1995年,青林書院)453〜454頁,奥平康弘『憲法〓』(1993年,有斐閣)107〜108頁など。全般については参照,右崎正博の金沢地裁・平成14年(ワ)第836号,平成15年(ワ)第114号事件(住民基本台帳ネットワーク差止等請求事件)への意見書「憲法13条と自己情報コントロール権について」(平成16年12月12日付)。
(3) 判例については次項で取り上げる最判(二)平成15年9月12日民集57巻8号973頁を挙げれば十分であろう。最高裁判所はここまで認めているのであって,被告書面(2)の主張は全く当たっていない。
2 自己情報コントロール権について。
(1) 被告書面(2)の第3の2は結論として「・・・自己情報コントロール権を肯定する見解には問題点が少なくなく,自己情報コントロール権の概念はいまだ不明確であるといわざるを得ない」と主張する。
(2) この被告書面(2)の主張は全く認められない。平成18年の書面なのに,前記最高裁判例に全く触れていないからである。前記最高裁判例があるにもかかわらず,被告が上のように述べることは,判例の考え方の理解・紹介を誤ったもので,判例の状況に関する許されない歪曲である。
(3) 最高裁第二小法廷は平成15年9月12日に早稲田大学の名簿提出事件において画期的な判決を下した(民集57巻8号973頁)。この事件は1998年11月28日に早稲田大学大隈講堂において開催された中華人民共和国江沢民国家主席の講演会への参加を希望した学生の学籍番号・氏名・住所・電話番号を記載した名簿を,講演会を主催した早稲田大学が学生らの同意なしに警備当局に提供したことの是非が問われた事件である。
 第1審の東京地裁(平成11年(ワ)第276677号,損害賠償請求事件)は学生らの請求を棄却する判決を下した。早稲田大学の名簿提出は,参加申込者に対して警視庁等に提出する旨の予告がなく,また当該大学の個人情報保護規則に違反する不適切なものであった。しかし,本件名簿の提出は外国要人の警備と言う正当かつ公益にかかわる目的にとって不可欠であったこと,学生らの個人情報はそれ自体として他人に知られたくないと感ずる程度が低いものであること,原告[学生]らの被った不利益は抽象的なものであること,名簿の提出の方法・態様が限定的で目的との関係でも相当の範囲内のものであること等を総合考慮して,本件名簿の提出行為は違法性を阻却すると判断したのである。
 最高裁は次のように判示した。「学籍番号,氏名,住所及び電話番号は,早稲田大学が個人識別等を行うための単純な情報であって,その限りにおいては,秘匿されるべき必要性は必ずしも高いものではない。また,本件講演会に参加を申し込んだ学生であることも同様である。しかし,このような個人情報についても,本人が,自己が欲しない他者にみだりにこれを開示されたくないと考えることは自然なことであり,そのことへの期待は保護されるべきものであるから,本件個人情報は,上告人らのプライバシーに係る情報として法的保護の対象になるというべきである」。「このようなプライバシーに係る情報は,取扱い方によっては,個人の人格的な権利利益を損なうおそれのあるものであるから,慎重に取り扱われる必要がある。本件講演会の主催者として参加者を募る際に上告人らの本件個人情報を収集した早稲田大学は,上告人らの意思に基づかずにみだりにこれを他者に開示することは許されないというべきであるところ,同大学が本件個人情報を警察に開示することをあらかじめ明示した上で本件講演会参加希望者に本件名簿へ記入させるなどして開示について承諾を求めることは容易であったものと考えられ,それが困難であった特別の事情がうかがわれない本件において,本件個人情報を開示することについて上告人らの同意を得る手続を執ることなく,上告人らに無断で本件個人情報を警察に開示した同大学の行為は,上告人らが任意に提供したプライバシーに係る情報の管理についての合理的な期待を裏切るものであり,上告人らのプライバシーを侵害するものとして不法行為を構成するというべきである。原判決の説示する本件個人情報の秘匿性の程度,開示による具体的な不利益の不存在,開示の目的の正当性と必要性などの事情は,上記結論を左右するに足りない」と。
3 原告たる被害者は加害者を厳重に処罰してほしいと主張したのであるが,K事務官はこの被害者たる原告の意思を踏みにじって,敢えて加害者を略式で罰金10万円で処罰請求(略式起訴)したのである。しかも,加害者を軽く処罰するために必要不可欠な被害者の電話聴取書(そこには被害者が加害者を軽く処罰するようにという内容が書かれていた)を偽造したのである。K事務官のこの行為は,原告たる被害者の厳正処罰という真摯な意思を否定して,「加害者を軽く処罰してくれ」という虚偽の意思(=情報)を作り出して利用したのであるから,明らかに,原告たる被害者の私的領域への侵犯行為であって,典型的なプライバシー権の侵害である。原告たる被害者の自己情報コントロール権を侵害したものであることは明白である。上記の早稲田大学事件は同大学が収集して持っていた情報を,それらの個人に無断で警察に開示したものであるが,本件の事件は原告たる被害者の虚偽の自己情報を作り出して利用した行為であるから,上記早稲田大学事件に比べて,極めて悪質であり,プライバシー権・自己情報コントロール権の侵害の程度は著しく重い。
4 被告書面(1)は第3の3においてK事務官が被害者供述調書を加害者に見せたことを認めているが,それは検察官の捜査権限の行使の一部であって法が当然許容するものであると主張する。
 しかし,仮に被害者の供述内容を加害者に知らせるにしても,適切な方法によるべきであって,被害者供述調書そのものを開示することは許されない。被害者は許せないと思っている加害者に自分の供述内容が逐一知られることを当然に受忍しなければならない義務があるはずがない。もし仮に開示する可能性があるのであれば,被害者から供述を聞く前に,その旨を告げて了解を取らねばならない。そのような了解を本件の被害者が与えるはずがない。このことを考えただけでも,被告書面(2)の主張が如何に妥当性を欠くかは明らかである。このような判断は,上記最高裁判例に鑑みて,当然の帰結である。K事務官の行為は原告たる被害者の自己情報コントロール権を著しく侵害するものである。加害者が明示的に述べている点が原告の自転車の走行経路に関する部分であるとしても,その部分だけを開示したわけではなく,調書全体を見せたのであるから,被告書面(2)の第3の末尾の段落における主張は的外れである。
5 被告書面(2)の第4の主張,すなわち,原告の精神的苦痛は回復される性質のものだとの主張は認められない。原告は現在でも憤懣やるかたないのであり,精神的苦痛は現在においても回復していないのである。
 本件は,下記のような新聞報道がされている。中井検事が,「国民にお詫びする」のは当然であるが,なによりもまず原告に謝罪するのが先決である。しかし検察当局は,今日至るまで,原告に対してお詫びの言葉もないし,詫び状1通も送られていない。被告(N地方検察庁)が未だに原告に対して慰謝の措置を講じていないことは,それ自体,慰謝料増額事由に該当するものと言わざるを得ない。
書類偽造 検察事務官を減給 起訴猶予処分に
 交通事故の捜査段階で被害者から実際に事情を聴かず,うその書類を作成していたとして,N地検は十三日,男性検察事務官(五一)を減給百分の十,三カ月の懲戒処分にしたと発表した。虚偽公文書作成・行使については「事実を認めており,隠そうともしていない」などを理由に起訴猶予処分にした。
 N地検によると,事務官はN区検に在籍していた平成十四年十二月十一日,担当していた交通事故の捜査段階で,被害者から事故状況やけがの程度を直接聴かないまま,警察の調書や加害者の話をもとに状況を推測して,うその書類を作った。うその書類は,ほかの証拠資料などと一緒にN簡裁へ提出していた。調べに対し事務官は「年末の事件処理に追われ,忙しかった」などと話しているという。
 十五年十二月中旬,事件の確定記録の写しを見た被害者がうその書類に気付き,地検N支部に苦情を申し立てた。
 中井国緒次席検事は「公訴権を扱う検察事務官がこのような行為に及び,国民に深くおわびしたい」とコメントした。
(なお,甲5によれば「関係者と国民に深くお詫びしたい」とあるが,「関係者」とは誰を指すのか不明である。この報道がなされたころ,中井検事から当代理人(Barl-Karth)に電話があったが,「お詫び」の趣旨は全く伝わってこなかった。公務員にとって,減給がいかに重い処分であるか理解してもらいたいとの趣旨の話があったことは記憶している。
 そもそも精神的苦痛なるものは,いったん蒙ったら容易に回復しないものなのである。外傷性のトラウマについてはわが国において既に多くの実例があり,多くの治療と研究が行われているが,容易に治療できない難治性の事例が普通に見られるのである(参照,ジュデス・ハーマン『心の外傷と回復』(1999年,みすず書房)。N地検がK事務官を公判請求し適正な処罰がなされれば,原告の精神的苦痛は多少は緩和されたかもしれないが,検察官(事務取扱)たる者が自分の電話聴取書を偽造して,自分の意思に反して加害者を余りにも軽く処罰したことに,原告たる被害者は深く傷ついたのである。被告は余りにも事態を軽く考えているのではないか。検察官の捜査・訴追行動は,国民にとってそれだけ重い権限なのであり,国民はそれだけ検察を信頼しているものなのである。
第4 結語
 原告たる被害者の精神的苦痛は未だに強く,原告は未だに精神的に深く傷ついているのである。K事務官の行為は,故意に基づく,原告たる被害者の適正処罰請求権とプライバシー権(自己情報コントロール権)を侵害する不法行為であり,国家賠償法第1条により,国は原告に対して損害を賠償しなければならない。