青春を返せ控訴審

第○○ 原判決番号(??)・被控訴人XXについて
1 原判決のXXに対する事実認定及び法的判断は,まことに正当であり,被控訴人の主張は甚だ失当と言うほかなく,当該控訴は速やかに棄却せらるべきである。
 Xは,ローマ・カトリック教会の幼児洗礼は受けていたものの,キリスト教や宗教一般に関する知識・教養はそれほど高いものではなかった。日本でも浄土真宗日蓮宗等々の仏教諸派の檀家になっているが,日常生活で格別宗教儀式には参加しないし,熱心な信心も持っていない国民が多数いる。
 このようなキリスト教宗教団体(ローマ・カトリック東方正教聖公会,北欧におけるルーテル教会等)は,宗教社会学上「チャーチ」とカテゴライズされている(マックス・ウェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」等参照)。つまり,先祖代々受け継がれている「家の宗教」なのである(これと反対の宗教社会学上のカテゴリーは「ゼクテ(信徒一人一人が自覚的宗教意識を持っている集団)」である。
 Xの信仰や宗教的知識もこの程度のものに過ぎなかった。したがって,Xがローマ・カトリック教会の信徒であるから「統一協会から自由意思で脱会できたはずである」という控訴人の主張は,宗教社会学的見地から見ても実証的裏付けがない,非学問的な主張である。
(1) 控訴人は,要旨「ビデオセンター受講者100名中献身に至った者は2−3名に過ぎないから,Xも統一協会から自由意思で脱会できたはずである」と主張する。
 しかし,上記主張は,社会学的・統計学的・犯罪学的裏付けに欠けたものであり,甚だ失当である。
 いわゆる「振り込め詐欺貸します詐欺」という犯罪の手口は,1日100人以上に詐欺電話を掛ける。この詐欺に引っかかる者は,100人中多くても2−3人に過ぎないことは見やすい道理である。また,インターネットメールで「逆援助交際(金持ちの女性と肉体的交際を持つと女性から援助金がもらえる)」というメールが送られてくることも多いが,このような詐欺に引っかかる男性もおそらくメール受信者中の1−2%程度であろう。
 このような詐欺の被害者はパーセント的に見れば上記の程度であるが,10万人にメールや電話を掛ければ,1000人は詐欺の被害に遭ってしまうのである。
 このような詐欺被害者に対して「自由意思に基づいて送金してくれた。送金を控えようと思えた筈だ。だから,自分たちの行為は詐欺ではない」などと主張してもそのような主張は通るはずもない。
(2) 「控訴人と連絡協議会とは別人格であり,使用被使用の関係にはない」との主張について。
 控訴人は上記のような主張をするが,これも宗教社会学的知識に反した主張である。
 世上一般に公認されているキリスト教団体を例にとってみる。教会には,牧師・神父(聖職者)がおり,教会役員,信徒(信仰に熱心な信徒もいれば熱心でない信徒もいる)がいる。信徒は世代や性別,既婚者・未婚者・離婚経験者,病気持ち,外国人等々でグループ活動(トラクトの配布・聖書や教理の勉強・餅つき大会やバザー等)をすることが多い。グループごとで独立して経理帳簿を付けていることも多い。その際,「私たちのグループは<教会> として活動しているのかしら? それとも教会とは別個にグループ活動しているのかしら?」などという疑問は,生じることはない。
 殊更に「教会」の活動と「信徒団体の活動」は別個独立のものであると主張するのは言い訳がましいし,訴訟対策のための主張であるとの疑念を脱ぎされない。

2 その外,Xの主張
 キリスト教プロテスタントであれ,カトリックであれ,2000年以上の歴史を経て今日まで存続している宗教である。ユダヤ教(旧約を正典としている)から数えてみれば4000年以上存続している。
 その歴史の間,アタナシウス・アウグスティーヌス・トマス・オッカム・ルター・カルヴァン・バルト・ブルンナー・ラーナー・キュング,ラッツィンガー(現教皇ベネディクトス16世)など,名だたる神学者が論争を続け,その論争による神学的構築を経て今日に至っているのである。
 およそ伝統宗教(仏教・キリスト教イスラム教・ユダヤ教等)はこのような歴史的風雪を耐え抜いて今日まで生き抜いているのである。その奥義(Mystery of Godliness)は容易に知解できるものではない。
 「統一原理」などと言う教理は,所詮は,「愚かな作り話や空しい哲学(知識)」と言う他ない(コロサイ書2章8節)。
3 結論
 以上の次第で,控訴人の主張は,失当であり,速やかに控訴棄却の判決がなされるべきである。

第1 原判決番号(??)・被控訴人YQについて
1 原判決のYQに対する事実認定及び法的判断は,まことに正当であり,被控訴人の主張は甚だ失当と言うほかなく,当該控訴は速やかに棄却せらるべきである。
2 控訴人は,「XXX万円」の損害賠償を認めた原判決を非難しているが,理由のない主張である。
(1) 控訴人は,被控訴人(以下,「Y」と略記する)が支出した金員が「事実を歪曲し脚色されており信頼性は低い」と主張する。
ア Yは,昭和3X年生まれであり,その頃に生まれ育った者は,「ノストラダムスの大予言(平成11年7月に世界は滅亡する)」と言った本や占い・霊界等のオカルト的なものに多かれ少なかれ影響を受けていた世代である。
 Yは,学業を終えた後上京し,XXXX職員として稼働していた。地方から東京に出てきて就職した女性が,孤独で味気ない生活を送るというのは,世上しばしばあることであるし,Yも同様の生活を送っていたということは想像に難くない。
 控訴人は,このような純朴で生真面目な青春時代を送っていたYの心の隙間に付け入って,「人生,歴史,科学,教育,宗教等を学べる」などと,もっともらしい言葉を並べ立てて,Yをビデオセンターに誘い込んだのである。「ノストラダムスの大予言」等々の影響を受けた若年者がこのような勧誘を受ければ,勧誘された者はこれに安易に乗じてしまうというということは十分に理解可能であろう。このような勧誘方法は,その目的・手段・結果において,違法・不当性がきわめて顕著であるといわなければならない。
イ 被控訴人は,要旨「Yはイエスの生涯の講義に感動し,嗚咽して泣いた」等と主張し,Yは自由意思で統一協会に入信したと主張する。
 しかしながら,このような主張は,キリスト教に対する常識的知識・宗教心理学の経験に反したものであり,いささかの説得力もない。
(ア)  神学的・教理学的批判
 イエスの生涯(聖誕・洗礼後の公生涯・受難・復活・昇天・再臨)はきわめて複雑・難解なものであり,キリスト教文化を受容している者,キリスト教新約聖書に関する基本的知識がない者にとっては,分けが分からないものである。なかんずく,十字架の受難・三日後の黄泉がえりなどという教理は,仏教的文化の元に育った日本人にとっては,荒唐無稽な話である。
 このような,荒唐無稽な話をYは感動し嗚咽して泣いたというのは,新約聖書福音書)に書いてあることを「いいとこ取り」して,キリスト教の基本的知識のない人にも「泣かせる」ように脚色したからに他ならない。もとより,控訴人(統一協会)には信教宣伝の自由はあり,このような宗教を宣伝する自由はあると思われるが,しかし,そのような宣伝を受ける者にも「信教の自由」はあるのである。ここに「信教を宣伝する側」と「信教の宣伝を受ける側」との人権の調整場面が生じるのであるが,原審における主張・立証から見て,控訴人(統一協会)の宗教宣伝方法は,その目的・方法・結果において社会的相当性を逸脱している。
 このような違法な宣教活動により宗教団体(控訴人統一協会)に入信した者はカルト団体に詐欺的な方法で入信させられたものというべきである。その損害は,経済的損害・慰謝料を含めて数百万円を持って償うべきであり,原審判断は正当なものである。
(イ) 宗教心理学的批判
宗教的宣伝は,集団的心理をあおって行われることがしばしばある。古くは,メソジスト(ウェスレー兄弟)の宣教方法,最近では,極端なプレミレニアム(世の終わりは近い)やペンテコスタリズム・カリスマティックムーブメントである。このような宣教方法は,情緒的なものに流されやすい者を対象にしており,宣教対象者を隔離し,宣教部隊が一人一人をケアしながら入信に導いていくことが通例である。
 控訴人は,Yに宗教的知識が少ないことを良いことにマインドコントロール的手法で,いかがわしい教義を注入し,献身させたあげく被控訴人の意のまま経済活動等に従事させたものである。繰り返しになるが,このような控訴人の行為は,その目的・方法・結果において社会的相当性を逸脱している。
3 結論
 以上の次第で,控訴人の主張は,失当であり,速やかに控訴棄却の判決がなされるべきである。