憲法改正の限界について−法実証主義的考察−

 スイス憲法(初学者にも有名な<形式的意味の憲法>)

第?条
 第1項 動物を殺すときは,麻酔をしなければならない。
 第2項 前項は,憲法改正によって改正されてはならない。
 第3項 前項は,憲法改正によって改正されてはならない。
 第4項 前項は,憲法改正によって改正されてはならない。

 (以下省略 第X項は無限に続く)
 「憲法改正禁止条項・改正限界条項(正確な定義は難しいのだが,厳密に分析すると改正が禁止されている条項とそのメタ条項である改正禁止条項とで構成されている)。」を人工言語論理学的に分解すると,上記のような記述になる。私の友達の論理学者は「法律エキスパートシステム」の構築に関わったそうだが,「言葉の定義」と「導出過程」がメチャクチャなので,早晩この国家的プロジェクトは破綻するであろうと考えていたそうだが,やっぱり破綻した。「吉野一」という法哲学者の著書を持っているが,「吉野正三郎(某大学教授兼弁護士)」と区別が付かず,「吉野先生って博学な人だなぁ」,と誤解してしまった)

http://www.tetsusenkai.net/column/index.cgi?act=artsel&tree=15&art=1016533365



ラジカルな法実証主義を基本として考えると,憲法改正を画するのは,当該憲法の「メタ憲法」である。(ケルゼンがどう考えているかは,綿密に検討していないが,たぶん,同氏の見解を敷衍すると私見と同旨であろう)。原典に当たっていないが,京大憲法教授佐々木惣一も同じようなことを言っていた記憶がある。

そうすると,「メタメタメタメタ(以下無限)改正禁止条項」を改正するためには,「改正禁止条項」を一つ一つ改正するほかないこととなる。つまり,永遠に永遠に憲法を改正すれば,やっとこさ「被メタ憲法」を改正できる。換言すれば,法実証主義を貫徹するとしても,改正禁止条項は永遠に改正できない。

しかし,これには,有力な反対説を構築することが可能であろう。

「メタメタメタメタメタ条項と,これが対象である「被メタ憲法」をいっぺんに改正すれば手間が省ける」という立論である。

私は,(それ自体が内在的に根拠を持っている)改正禁止条項などという「神話」を信じることはできないし,清宮四郎流の<ケルゼン+(密やかな)自然法思想>は胡散臭いと考えている。