ある修道女との論争

昨日、〇〇法律事務所のパーティーでシスターと会話する機会があった。82歳で、カトリック系病院で奉仕されているシスター。

復活した後のイエスの話であった。

私「復活されたイエスは、弟子の前に顕れて開口一番『腹減った、何か食い物は無いか』と仰せになられた。エスは完全に神であると同時に完全に人間であった。黄泉に下って相当お腹がすいたのだと思います。

シスター「それは、ちょっと解釈が違いますよ。イエズスはお腹がすいたから「食べ物は無いか」と言ったのではなく、「私はお前達と同じように人間として・肉体を持って復活したのだ」と言うことを言いたいために「食べ物は無いか」と言ったのじゃないかしら??」

私「シスターの解釈も一理ありますけど・・・・」
(以下論争が続く)。

私「イエスは、肉体を保ったまま天に昇られた。そうすると、現在でもイエスは、肉体を保ったまま神の右に座していると思われる(ニケア信条参照 ディクシト ドミヌム)。そうであるとすれば、天に上げられたイエス様は、食事もするしウンコもすると考えるのが自然であろう。ところで、宇宙から地球に時々隕石が落ちてくる。あれは、イエス様のウンコだという説をカール・バルトは教会教義学で述べていた。」

シスター 「そんなことは無いと思いますよ」
(以下、肉体を保持したまま昇天したイエスの暮らしぶりについて論争が続いた。)
私「新約聖書に書いてあるイエスが起こした奇跡、例えば、「イチジクの樹を枯らすとか、豚を湖に遁走させたとか−約2000匹の豚が溺死した−。、ラザロを復活させたとか、神殿で鳩を売っている香具師の屋台をひっくり返した」等々いうのは、私は信じています。しかし、カトリック特有の聖母マリアが顕れたとか言うルールドの泉の奇跡とか、秋田県のマリア像が涙を流すなんて話は信じていません。」

シスター「でも、確かな体験談があるんですよ」

私「シスター自らがその目で見たわけじゃないでしょう。自分の目で見なければ、私は決して信じない。これが弁護士業務の基本です」

シスター「弁護士って、トマスみたいな人なのですね。」

私「見ないで信じる人は愚かである、と聖書に書いてなかったでしたっけ?」

シスター「この罰当たり!!」

以下、カトリック教会内の内部情報とか、聖書に関するトリヴィアルな話が延々と続いた。ただし「ラッツィンガー(現教皇ベネディクトゥス16世)が立派な人である。しかし、外交官の職歴を経てないので国際問題でヤバイ発言をするかもしれない」、などという点については意見の一致を見た。

シスターは神言会(ドイツ系修道院 民訴法の大家 町村教授が奉職している名古屋にある南山大学などを傘下におさめている)の所属なので,結構理屈っぽい人であった。