悪法は法か

 以下の論述は,私の思索の形成過程を未整理のまま,ぐたぐただらだら書いているに過ぎない。だから,ものすごく分かりにくい論述だと思う(この論考を書くにあたっては,東大出版会 現代法哲学1 法理論所収の「法の効力ーその存在論的把握ー竹下賢」・「遵法義務」−悪法論再考−森際康友−を参照した)。


 「悪法は法か」「悪法に従うべきか」は,自然法論との関係で,好んで取り上げられる問題である。
 しかし,この問題を正確に解くためには,分析的な考察(ある意味 記号論理学的)が不可欠であろう。それから,「悪法は法か」というのは,問題設定として荒っぽい(プリミティブ)ので,「悪<法>は,<法>としての効力を有するか」とリステイトした方がよい。
 「悪法」は「悪」という性質と「法」という性質の2個に分解できる。だからまずこれを分解する。
 そうすると,6個の問題が設定される(問題設定漏れが6個くらいあるかも知れない)。

1 「悪は法としての性質(有効力性・妥当性)を有するか」

2 「法は法としての性質(有効力性・妥当性)を有するか」

3 「悪法は法としての性質(有効力性・妥当性)を有するか」

4 「悪に従うべきか」

5 「法に従うべきか」

6 「悪法に従うべきか」

「悪<法>は<法>か」という問題設定でまず考察してみる。<法><法>は「」という言葉では共通であるが,「法」と「法」の「法」言葉の意味づけは明らかに違う。もし<1法>と<2法>が同じ意味で使われているとすれば,単なる先験的分析命題の分析的判断からして「しかり,悪<法>は<>であるから概念上必然的に法である」という脱力的・同語反復的な分析になってしまうであろう。

(続く。この難問を解くためには,32とおりくらいの命題を措定して分析する必要があるような気がする)