自然法論雑感(書評)

法思想史講義〈上〉古典古代から宗教改革期まで

法思想史講義〈上〉古典古代から宗教改革期まで

 私の一連の記事を読んでもらえれば分かるけれど,私の自然法に関する知識はカトリック自然法思想(端的に言えば聖トマス,その承継者たるラッツィンガー<ベネディクト16世>,水波朗,ヨンパルト他)に偏している。トマス的自然法自然法思想のイデアルティプスにした上で,バルト,ブルンナー,カルヴァン,オッカム,ケルゼン等の視点から,自然法思想を批判するという作業が多い。
 「こういう視点でグルグル回りしていても展望が開けないなぁ」と考えていた。キリスト教神学を基盤として法哲学を考えるのはよいとしても,もうちょっと切り口を広げないといけないと思案していたところ,良い本を見つけた。
 笹倉秀夫の最新著書法思想史講義<上>古典古代から宗教改革期まで
である。
 今日は,比較的手が空いていたので,事務員さんに隠れながらこっそり読んだ(机の上に「神學大全」が開きっぱなしで置かれているので,バレバレだけどw)。
 良いことが書いてある。
 「原始キリスト教」は新約聖書の引用のてんこ盛りだ。日本キリスト教団リベラル派牧師の良質な説教を聞いているような感じである(断って置くが決して貶しているのではない)。ハーザー誌の私の連載「Barl弁護士の危険な法律相談」はもうすぐ終わるので,僭越ながら,笹倉氏が,「笹倉教授の危険な法哲学講座」を連載してほしい。
 法思想史教科書で原始キリスト教に触れたものとしては,三島俊臣の著作があるが,(青林書院新社 法思想史 127頁 キリスト教の成立),明らかにカール・バルト,滝沢克巳に淫していての影響が明白であり,教科書として難しすぎる。

 早速,「女性教員」から精読を始めた(以下引用,一部省略)
 ボローニャ大学では,既に12世紀からかなりの数の女性教員が教えていた.たとえば,
1 13世紀には,有名な法学教授アックルシウスの孫娘が法を教えた.
2 ベティシアは,授業に人気があり聴講者が室内に入りきらなかったので,街の広場で授業した.
3 哲学と法学を教えたノベラ(Novella d'Andrea 1312-66) は,あまりの美貌が学生の聴講の妨げになるので,ベールをかぶって−一説にはカーテンの後ろに立って−授業をしたという.彼女は教会法の教授ヨハンネスの娘で,母と長兄も教会法学者であった.
(同著199頁 96ヘエ)
 
 この著書に接し,私の学生時代をふと思い出してしまった。私は「刑法各論」と「ゼミ(ひたすら団藤古希記念論文集を読みまくる)」で,とても美人な(こととしておく)(当時20代後半)先生のご指導を受けた。先生に「僕たちは先生に卒業記念の贈り物をしたいのですが・・・」と話したところ「空色のレオタードが欲しい」と言われた。
 そういう文脈において,京都大学法学部(とロースクール)はボローニャ大学に似ている(T.K.刑法教授,Y.M.フランス法民法教授)が・・・・(以下筆禍事件を畏れて省略)。