内藤謙 「刑法理論の史的展開」を読みながら
- 作者: 内藤謙
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2007/10/01
- メディア: 単行本
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内藤謙という学者は,私が大学生だったころ,60歳くらいだった。それから20年以上経っているので,もう亡くなっただろうと思ったら,本を出していた。氏は,1923年生まれだから,現在83〜84歳である(刑法学会でいつも元気な姿を見せられる中山研一先生とほぼ同年齢か?)。これくらい高齢になると,本など出さなくなるが,内藤謙先生は最近本を上梓された。著書を構成する各論文の初出は,古いものでは1958年,新しいもので2001年である。80代になってから,過去に書いた論文を体系的に配列し,補訂を加えるという作業はなかなかできないものだと思う。
時々,「私はあと40〜50年くらいしか生きられない」と思い,儚さにおそわれる。しかし,あと40〜50年生きることができて,考えることができるのならば,充実した人生だろうと思う。
現在,同著の「第1章 目的的行為理論の法思想的考察」を読んでいる。内藤謙氏が20世紀ドイツ(法)哲学をこれほどまで深く学び,概念的に整理し,わかりやすく叙述しているということを,今まで知らなかった。自然科学的一元論的実証主義→新カント学派的二元論的実証主義→存在論(形而上学−価値は存在に根付いている−)という哲学の潮流(トレンド)が刑法理論にいかなる影響を与えているかが,両者(哲学と刑法理論)の対比の中で述べられている。
私は,刑法総論を学んでいく中で,その根底にある(法)哲学に少しずつ沈潜していった。他方において新カント派(法)哲学(と英米分析哲学)とを学んでいった。新カント派を学びつつ存在論を学びはじめ,「<思考の枠組み−先験的判断と経験的判断−「新カント学派」では両判断を架橋するものはない!>を基準として,存在を<構成・把握>するという<思考の枠組み>は,なるほどわかりやすいけれども,しかしアーティフィシャルすぎるのではないか?」と思い始めた。それで,私は,このようなアーティフィシャルな思考枠組みを反省しようと思って存在論を少しずつ勉強し始めた。<「存在のあり方が,私の思考の枠組みを決める」と考える方が,わかりにくいけれども,ナチュラルな考え方じゃないのだろうか」と思うようになった。
なんだか難しいことをいっているのだが,ともかく内藤先生の本を読んでほしい。「刑法によって哲学がわかってくる」「哲学によって刑法の理解が深まる」,そういう構造の本なのだ。
追記
1 上智大学神学部生konatyanさん
http://d.hatena.ne.jp/konatyan/
この本を読んでほしい。存在論・形而上学と刑法理論・法哲学がつながるかもしれない。ハンス・ヴェルツェルは確かヨンパルト先生の師匠のはずだ。
2 東大法学部生 Herrenmoralさん
http://d.hatena.ne.jp/Herrenmoral/
もう読んだと思うのだが,同著書の目的的行為(理)論に批判を加えていただけるとありがたい。