気をつけて 中身は向こうが 知っている

 ときどき,外国人刑事弁護の話を書いているが,何年やっても難しい。
 去年の夏,中根育子さんという研究者(メルボルン大学)が当事務所にいらして,取材を受けた。
http://www.asiainstitute.unimelb.edu.au/people/staffproj/nakane/index_ja.html

「アシュタロシナ(気をつけて)事件」にずいぶん興味を示された。
「アシュタロシナ事件」のパロディは以下に書いた。
http://d.hatena.ne.jp/Barl-Karth/20051118

 この事件は,終結してしばらく立つし(一部無罪),実務的見地からも有益なので,少し書いてみる。大論争になったのは,証人Xの以下の証言であった。

 V(ネタもと)は私(X運び屋)に「気をつけて 中身は 向こう(被告人)が知っている」と話しました。

 証言が一区切りついた後,私は,上記証言について,口頭で証拠排除申請し,翌期日に詳細な「証拠排除申請理由書」を提出した。上のパロディのオリジナルは,同理由書である。理由書は以下のとおり(一部仮名)

XXXXXXXXX違反
 被 告 人   XXXXXXXX

意見書
(証拠排除の申立補充)
XXXXX年X月13日 
XXX地方裁判所 合議係 御中

主任弁護人 XXXXXX

副主任弁護人 Barl-Karth

弁護人 FFFFFF

 証人Aの供述については,口頭及び書面にて,証拠排除申立をなしたものであるが,この意見書をもって,若干,意見を補充する。

第1 刑事訴訟法・同規則の規定
1 伝聞供述について
 伝聞供述の証拠能力について,刑事訴訟法は,以下のとおり定めている。
法第324条〔伝聞供述の証拠能力〕
2被告人以外の者の公判準備又は公判期日における供述で被告人以外の者の供述をその内容とするものについては、第三百二十一条第一項第三号〔被告人以外の者の供述書面の証拠能力〕の規定を準用する。

法第321条〔被告人以外の者の供述書面の証拠能力〕
三 前二号に掲げる書面以外の書面については、供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明又は国外にいるため公判準備又は公判期日において供述することができず、且つ、その供述が犯罪事実の存否の証明に欠くことができないものであるとき。但し、その供述が特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限る。


2 伝聞供述が証人からなされてしまった場合の措置
これについては,以下のとおりの規則がある。
規則第205条の6(異議申立が理由のある場合の決定・法第三百九条)
2 取り調べた証拠が証拠とすることができないものであることを理由とする異議の申立を理由があると認めるときは、その証拠の全部又は一部を排除する決定をしなければならない。

第2 本件証言は,典型的な伝聞証言に該当する
1 いわゆる「伝聞もどき」について
 証人の証言中ある発話者の「発話行為自体(そして,これから立証される発話者の「狂気」・「語学能力」「憎悪の念」等」を立証趣旨とするのであれば,−判例上有名な事例としては「あの人は好かんわ、嫌らしいことばかりする」,「白鳥はもう殺してもいいやつだ」,教科書上の著名な作例としては,故田宮裕教授の「おれはアンドロメダの帝王だ」,書研「刑訴講義案」の「おれはアフリカの皇帝だ」等々−そのような証言は,「伝聞もどき」とも表されるべきものであり,伝聞証言には該当しない。

2 本件は,伝聞証言である
 一般的に,検察官は,弁護人からの「伝聞供述である旨の異議(排除申し立て)」に対する常套句的反論として,「証人がXから○○と聞いたと言うこと自体が立証趣旨であり,○○が真実であることは立証趣旨でない」などといった釈明をするが多い。本件も同様である。すなわち,裁判長からの求意見に対し,
 (前略)そもそもその発言自体を問題にしているわけでありまして,
と述べているものである(もっとも,「発言内容の真実性の問題であります」と矛盾したことを述べているが,速記の誤りであろうか?)と述べている。

3 本件は「伝聞もどき」ではない。
副主任からの求釈明に対して,検察官は,要旨「発話行為から自然に推認されるものは当然立証の対象である。」と述べている。
 しかし,副主任弁護人が指摘したとおり,−少なくとも本件においては−「発話内容の真実性」を前提としなければ,「発話行為からの自然な推認」などは,できない道理である。(それとも,検察官は発話行為からの自然の推認として,「Vはロシア語が話せる」とか「Vは黒という色を識別でき色盲ではない」などということを立証したいのだろうか?)
 結局,検察官の立証趣旨は,

(1) 暗い色のバッグの中身は、「気を付け」るべきものであったこと
(2) 同バッグの中身は、「向こうが知ってい」たこと

の2点にあると理解せざるを得ず,結局典型的な,伝聞供述に該当するものである。

4 法321条3号について
原供述者たるVは,国外にいることは事実であるが,同条の要件である「供述不能」には該当しない。Vは都合を付けて,来日し,日本で証言することが可能である(この点,弁護人らは,Vといつでも連絡できる体制にあるし,本年夏に,弁護人らがUUUUUUに赴いて,事情を聞いてくる予定である)。
 また,原発言が同条の定める「特信状況」を充足するか否かも疑問である。

第3 その他
本件は,通訳人の通訳を経てなされた証言であり,厳密には,再伝聞に該当する。もとより,通訳人の通訳は正確なものであると思料されるので,この意味で,「再伝聞性」はないものと考えられるが,しかし,「気をつけて」というロシア語が,どのようなニュアンスを持つのか等の問題があり(例えば「壊れ物」程度を意味するのか「ヤバイもの」というニュアンスを持つのか等),この点からも,原供述の真実性・翻訳が必然的に有するコミュニケーションギャップの点は,慎重に吟味されなければならず,この点からも,原供述者に対する証人尋問は不可欠である。
以上


 裁判長は,訴訟の終局段階で,伝聞供述の特信性を認め,これを証拠採用した。

 やむを得ず,弁論要旨で,当該伝聞供述の信用性を攻撃した。要旨は以下のとおりである。

(2) 「伝聞供述」の信用性
 裁判所は、原供述者「V」の供述に証拠能力を認めこれを採用した。弁護人としては、裁判所の証拠採用決定には、異議がある。この異議は置くとしても、伝聞供述の(特信性ではなく)信用性は、証拠能力と別の問題として、慎重に吟味される必要がある。
(3) 通訳の問題
特に本件は、原供述も法廷証言もロシア語でなされ、これが日本語で通訳されて、「気をつけて(アシュタロシナ)」・「向こうが知っているから」との証言が法廷で現れている。この点は外国人刑事事件特有の「伝聞供述」の危険性を軽視すべきではない。
この点と関連するAの検面調書は、「それは気をつけろ。」と通訳されている。「気をつけて」と「気をつけろ」では言葉ニュアンスは−日本語を念頭に置いても−もかなり違う。例えば、「(雪ですから)気をつけてお帰りしてください」「(壊れ物ですから)気をつけてお持ち帰りください」というのは、日常会話の範疇であるが、「月夜の晩ばかりじゃないから,夜道には気をつけろ」、「お前に恨みを持っている人はたくさんいるから、言動には気をつけろ」等の会話は、文脈によっては脅迫文言(あるいは強い調子の警告文言)である。
<Vはどのような意味合いで、「気をつけろ」あるいは、「気をつけて」と言う言葉を使ったのか>等の点について、原供述者Vに反対尋問をしない限り、その信用性(関連性)は、到底認められない。

(中略)

(6) ロシア語
VとAとの会話はロシア語でなされている。しかも、その再現は、法廷通訳によってなされている。どんなに優れた通訳・翻訳であっても、外国語の日本語への翻訳にはどうしても「コミュニケーションギャップ」が伴うものである。この点については、慎重な証明力判断が必要である。

判決は,弁護人らの「信用性なし」の主張を採用した。その結果,検察官の当初訴因(薬物輸入罪)は崩れ,「所持罪」に認定落ちした。(判決は求刑の半分以下。検察官控訴はなかった)

(5)Vの発言
 ア 証拠能力
 弁護人は,Aの公判供述中,本件荷物をVから受け取る際の,同人の「気を付けて。向こうは知っている」との発言及びAの検面調書中,同様の場面での,Vの「それは気を付けろ,XXX(被告人)にそのまま渡してくれればいい,向こうは知っているから」との発言(以下,併せて「V発言」という。)について,いずれも伝聞証拠であり,証拠能力がない旨主張する。
  しかし,Vは,現在まで国外にいることからすると,同人は供述不能と言わざるを得ない(なお,弁護人も審理の終盤において,Vの任意の来日を確約できない旨述べている。)。また,V発言は,その内容からして,被告人の麻薬輸入についての事前共謀ないし麻薬の知惰性に関し,その発言の有無により事実認定に著しい差異を生じ得るから,犯罪事実の存否の証明に不可欠である。そして,同発言は,事件発覚前に,Aの偶発的な行動を受けてされた自然的な供述であって特信状況も認められる。よって,Aの公判供述及び同人の検面調書中のV発言に係る部分はいずれも刑事訴訟法324条2項,321条1項3号により証拠能力が認められる。
イ 信用性
  A供述中,V発言が存在したことは,捜査及び公判の各段階でされており,また,同発言は,MDMA輸入を実行したAにとって,知惰性の観点から不利益に働くものであるから,MDMA輸入の実行役であるとはいえ,AがVを引き込む危険性が高いとはいえず,同発言の存在には信用性が認められる。なお,Aは,当公判廷においては,Vから言われた言葉について,「気を付けて,向こうが知っている。」と述べ,さらに,「向こう」の具体的な相手については,「荷物を受け取るところです。」「特定の人について何も言ってないです。」と述べるにとどまる。しかしながら,これまでの2回の荷物の送り先が被告人であり,実際にも被告人が受け取っていることからすれば,「向こう」が被告人を指すのはVとAとの間では前提とされていたと見られるから,検面調書の内容と実質的な趣旨は同一と見ることができる。
   もっとも,V発言中,「気を付けて(それは気を付けろ)。向こうは知っている。」との部分は,元来ロシア語での発言を翻訳したものであり,かつ,反対尋問を経ていないから,その意味の解釈は慎重にすべきである。そのため,同発言をもって,被告人とVとの間での麻薬輸入の事前共謀を直ちに推認するほど高い証明力を認めるのは相当でない。
(6)小括
(下略)