副会長時代(遠い目)

 私と同年代は,ほぼ全員単位会副会長を経験した。
 我々の世代が副会長になったころ(20世紀末から21世紀初め)日弁連執行部はおかしくなり始めた。

 そう。私が副会長だったころ,久保井という風采もあがらないし服装のセンスもないおじさんが日弁連会長で,3000人増員の言質を司法審に与え,事後承諾のため日弁総会が開かれたのだ。総会は午後10時40分まで続き,新幹線がなくなったので,同僚副会長と焼き肉を食べ「これからどうなっていくんだろうねぇ,我が業界は?」と語り合い,お茶の水山の上ホテルに泊まった。
 SZK先生とFJT先生が壇上を占拠し高野隆(ミランダの会)から懲戒請求された臨時総会である。

 副会長退任挨拶(臨時総会)の際,私は以下のように述べた。

「私が副会長をやらせていただいて一番勉強になったのは,日弁連執行部がいかに非道い連中かと言うことでした。本日限り,当会の副会長を退任しますが,明日から,私は<反日弁連執行部>運動に邁進する所存でありますから,皆様のご助力をお願いします」
 それでかどうかは知らないけれども副会長退任後ブラックリストに載ったり,「あいつは極左だ」と旧左翼政党の人たちから言われている。