富山大学言論弾圧事件における意見陳述



               被告事件に対するBarl弁護人の意見
 被告人の武藤君は4月15日に逮捕されてから今日まで4か月獄の中にいます。これ自体が異常なことであります。勾留というのは,逃亡のおそれとか,罪証隠滅のおそれがあるときに,はじめて正当化されるものであります。ここにいる武藤君を見てください。名前はブトウと言うんですけど,武闘家でも何でもありません。小柄な好青年であります。この青年の武藤君に対して,拘置所の職員が5人もいると,何を恐れているのでしょうか。また,ここの法廷の警備ぶりも,いささか常識から外れているんじゃないかと思います。7人の警備員がいます。なるほど傍聴人には行儀が悪い面があると思います。ただ,ここは政治闘争,思想闘争の場であります。政治闘争,思想闘争というのは,昔だったら殺し合いをやっていたんです。殺し合いばかりをやっていたんではまずいから,言論で決着をつけようと,これが民主主義社会であります。したがって,政治闘争とか思想闘争というのは,その言論において,何らかの不穏動作(不穏当さ)やお行儀の悪さがあるんであります。これは当然であります。政治的な言論や思想的な言論について,お行儀を求めるというのは,これはプロレス会場で暴力反対と叫ぶにも等しいナンセンスなことであります。
 武藤被告人については,保釈請求をしたんですが,これは当然裁判所に認めてもらえると思います。どう考えても,被告人武藤君は,このたびやったことを誇りに思っているわけです。ある意味正々堂々と国家権力と対峙して,法廷で言いたいことを言いたいというふうに考えている被告人がどうして逃げますか。また,証拠隠滅をするでしょうか。このようなことをしているから,人質司法と言われたり,日本の刑事裁判は絶望的だと言われたりするんであります。裁判員制度が吹っ飛んでしまうのも当然であります。
 それから,本件の罪体について,若干述べたいと思います。武藤被告人が述べたとおり,本件は検閲の問題が密接に絡んでおります。富山大学の学則では,ビラ等の配布物については全て,学長から事前に許可を得て,許可を得た後に初めて,配布が許されるという学則が定められています。これは2つの問題があります。これは明らかに検閲であります。憲法で禁止されている検閲を,学問の府,言論の府である富山大学が公然と規則化している。このようなことは,10年前の大学であれば,およそ考えられないことでありました。このような考えられない学則がなぜ制定されたかです。次に,大学の自治,学問の自由に関わることであります。学問の自由の保障としての大学の自治についてどう考えるか,これはいろいろな説があります。私としては,大学の教授会と学生自治会が話し合って大学の自治を決める,学則もそのような方法で制定するというのが,大学の自治の1つの内実であると考えます。その点はおくとしても,少なくとも大学の教授会において学生たちの意見を聞きながら大学の自治のための学則を作れというのが大学の自治の原則であります。しかるに,富山大学の学則はどうなんでありましょうか。詳細ままだ承知しておりませんが,おそらくは独立行政法人の理事会なるものが勝手に制定したものにすぎないと思います。理事会というのは,教授会とは全く違うところであります。経済団体の長であるとか,あるいは労働組合のトップであるとか,地元の新聞社とか,そういう大学学問とは関係のない人が集まって,大学を経営していくという資本の論理であります。そのような資本の論理によって憲法に違反するような学則を作る,このような検閲の問題,それから,大学の自治をないがしろにした問題,これが本件の背景にあるわけであります。この点については,裁判所も十分に考慮していただきたいと思います。
                                 以 上