裁判員・死刑・キリスト教倫理

 最近,この問題について,いろいろな報道があるが,ローマ・カトリックの標準的知見は,以下のとおり。
 後で論評する。

http://mr826.net/psi/catholic/0711-0810/6b7b521152365ea6306e5b585ec33092308130633066

 「裁くなかれ」という聖書の言葉から,裁判員辞退事由を導けるかを少し考えている。この点に関する報道は,以下のとおり。アウグスブルグ信仰告白1716条については,後で書く。

 http://findarticles.com/p/articles/mi_qn4188/is_20041225/ai_n11495101

 http://www.wjelc.or.jp/office/credo/augsburg/main.htm#C17

第十六条 公民生活について
公民生活について、われらの諸教会は、かく教える。正当な公民規定は神の善き御業である。すなわちキリスト者が、公職につき、裁判に列し、現行の国法や他の律法によって諸事件を決定し、正しい刑罰を定め、正しい戦争に従事し、兵士として行動し、法定取引や契約をし、財産を所有し、裁判官の要求の際宣誓をし、妻をめとり、或は子女を婚姻させることは正当である。われらの諸教会は、アナバプテスト派を排撃する、彼らはキリスト者に、以上の公職を禁じる。われらの諸教会はまた、福音的完成をば、神の畏れと信仰とにおかないで、公職を放棄することにおくひとびとを排撃する。なぜなら福音は、心の永遠の正しさを教えるからである。同時に、福音は国家或は家族の秩序と管理とを破壊しないで神の秩序としてそれを保持し、また、このような制度の中で、愛を実践することを特に要求する。それゆえ、キリスト者は、その為政者や、法律に従わねばならない。ただし、彼らが、罪を犯すことを命令する時は、この限りではない。なぜなら、その時はキリスト者は、人に従うより神に従わねばならないからである(使徒5:29)。