存在と当為,当為と自然,事実と価値の関係 ファラデー ロウソクの科学(雑感)

 三段論法において,その結論が当為命題であるためには,少なくとも大前提か小前提のうちの一つに当為命題がなければならない(こんなの話は,とてもトリヴィアル−自明−なので,わざわざいうまでもない)。
みたいな話(碧海純一先生やエルンスト・トーピッチュからの受け売り)。
 カトリック存在論では,ちょっと違うみたいですね。
(ファラデーじゃなくてポアンカレみたい。)

 akatori777氏(http://d.hatena.ne.jp/akatori777/20090305)(http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGIH_jaJP271JP271&q=%e4%bd%95%e3%81%a7%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%82%b3%e3%81%af%e8%87%ad%e3%81%84%e3%81%ae%e3%81%8b)(http://d.hatena.ne.jp/akatori777/20081216)


に読んでもらいたいのは,以下のサイト。学生さんのレポートのようだが,ちゃんと書かれている。

http://www.geocities.jp/mijincojp/etc/ph2.html



 結局,このお話は,「神は理性的存在なのか,意志的存在なのか」というようなオッカムとか聖トマス,ケルゼン・カール・バルトみたいな話になって,今でも時々悩む。