富山大学弾圧事件に関するお知らせ。

 富山大学言論弾圧事件の被告人武藤君は,一昨日,建造物侵入の被疑事実で令状逮捕されました。昨日,武藤君は送検のうえ,検察官は,被疑者武藤君に対する勾留請求をしましたが,富山簡裁(地裁?)令状裁判官はこれを却下しました。

 その後,検察官は,却下裁判を不服として,準抗告を申し立てましたが,4月16日同準抗告は棄却され,現在,武藤君は,娑婆にいます。


 検察官は,本日の公判期日について変更申請をした様子ですが,同申請は却下されました。
 このような次第で,本日1:30の弁護人「弁論要旨陳述」,被告人「最終意見陳述」は滞りなく行われることとなりました。関係者の皆さん,富山地裁に結集してください。弁護人・被告人による華々しい意見陳述が展開される予定です。
 以下,私が朗読予定の「弁論要旨」を記載します。当日は,アドリブも有りですから,このとおり朗読されるかどうかは,私にも解りません。電車の中で考えます。

第1 表現の自由および学問の自由について
1 被告人は,大学教室内において学生に対してビラを配り,また,演説・対話しようとして逮捕,起訴されたものである。ビラの配布,演説や対話は,いうまでもなく表現の自由として,憲法上の保護を受ける。まして学問の府である大学において,表現の自由は,最大限尊重されるべきである。
 他方において,富山大学は,「富山大学学生規則」なるものを規定し,キャンパス内における表現行為を規制している。
 そこで,ビラ配布,演説・対話を規制する「富山大学学生規則」なるものが日本国憲法下において有効であるかどうかが問題となる。この点は,大学の自治の観点からその制定手続の正当性が,そして,検閲の禁止の観点からその内容の有効性が,それぞれ問題となるところである。

2 制定手続の正当性
(1) 日本国憲法23条は「学問の自由」を保障している。学問の自由は,大学が国家権力その他の外部の権威から独立し,組織体としての自立性を保障されることなしには不可能であるから,学問の自由は「大学の自治」もその内実としている(佐藤幸治憲法〕450頁以下)。「自治」と言うからには,「(大学構成員)自らが治める」べきであり,「大学構成員以外の者」が大学を治めるべきではない。
 それでは,大学自治の主体たる「大学」とは何であろうか? 大学は,「教える者(教員)」と「教えられる者(学生)」とで構成されている。それ以外の者は,「大学」の構成員ではない。この見地から見て,大学自治の規範である「学則」は大学構成員たる教員と学生の意思によって制定されるべきであり,それ以外の者の意思によって制定されるべきではない。
 弁護人の見解によれば,「学則」は「教えられる者」である「学生」を代表する「学生自治会」と「教える者」である「教授」を代表する「教授会」との協議によって制定されるべきものである。この点については,種々の見解があると思われるが,a 教授会の議を経ない「学則」,b 学生の意見を聞かないで制定された「学則」は無効である。この見地から,「富山大学学生規則」なるものの有効性を検討してみる。
(2) 「富山大学学生規則」なるものは,教授会の議を経て制定されたものではない。
上記規則は,大学教員(教授会)の議を経て,制定されたものでなく,富山県内の大手企業経営者,体制内労働組合・マスメディア役員等々の「学問」とは縁もゆかりもない者をメンバーとする「評議会」なるもので制定されたものである。このような学則の制定は,大学の自治の見地から見て,違憲・無効であるといわなければならない。
(3) 「富山大学学生規則」なるものは,学生の意見を聞いて制定されたものではない。
富山大学学生規則」は言うまでもなく,富山大学学生を名宛人とする規則である。民主主義の原則からすれば,このような規則は,規則の名宛人たる者の意見を規則制定前に聞き,その意見を十分に尊重すべきものである。しかるに,関係各供述・証言によれば,本件規則は,その制定前に学生の意見を聴取することもなく,「評議会」なる機関が一方的に制定・交付したものである。
 このような学則の定め方は,著しく横暴であり,また,民主主義の原則を無視したものであるから,違法・無効と言うほかない。
(4) ここまでのまとめ
以上のとおり,被告人の表現行為(ビラ配布,学生との討論・対話,学生に対する演説等)を禁じた富山大学学生規則は,その制定過程が違憲・違法であり,無効である。
3 規則の制定内容の有効性
(1) さて,「富山大学学生規則」なる者の内容を検討しよう。
同規則は,「学生又は団体が,本学において,雑誌,新聞,パンフレットその他の印刷物(以下「印刷物」という。)を配布しようとするときには,学生又は代表責任者は,あらかじめ印刷物届に当該印刷物1部を添えて学長に提出し,その許可を受けなければならない(第20条)」と規定している(傍線は弁護人が付加した)。
(2) このような規則が,日本国憲法に定める「検閲の禁止」に違反しないかが問題である。
最高裁判所の判決によれば,日本国憲法21条2項にいう「検閲」とは,「行政権が主体となって,思想内容等の表現物を対象とし,その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に,発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」とされる。
 前記学生規則は,「大学行政を司る学長が主体となり,表現物である「ビラ(パンフレット)」を発表前にその内容を審査して,不適当と認める場合は,その配布を許可しない」とするものであって,まさしく,検閲に該当する。
 検閲の禁止は,国家制定法のみならず,本件のような国立大学の学則にも等しく妥当する。本件学則は,その内容から見ても違憲・無効である。
第2 証人・被告人の供述
 証人荻野不二夫の証言によれば,本件のような学則を定めた国立大学は,富山大学を置いて他にない。また,大学の学則を定めるに当たっては,大学教員をメンバーとする機関が審議制定し,その際は,可能な限り,学生の意見を聞くべきものである。富山大学の上記規則は,その制定過程においても,また,その内容のおいても「大学の本分」,「大学の理念」に反するものというほかない。
第3 検察官の主張
 以上の問題に対して,検察官は,論告において,要旨
 a 学生規則は,大学の内部規定に過ぎない。
 b 大学の自治および学内の平穏維持という正当な目的のために制定されたものである。
 c 大学構外での表現活動を禁止するものではない。
などと主張する。
 しかし,大学の自治は,これまで弁護人が主張したとおり,大学の担い手である学生と教員との協議によって(少なくとも学生の意見を斟酌して)果たされるべきものであり,本件学則は「大学の自治」に真っ向から反するものである。
 「学内の平穏維持」とは,いったい何であろうか? 学問は,その担い手である学生・教員がいろいろな意見発表・情報流通・表現活動に接したうえで,形成・向上されるべきものなのである。意見発表・情報流通・表現活動はその本質からして,「平穏」なものであり得ない。これらは,うるさく・穏やかでないこともあり・ときには迷惑と感じられることもある。そのような,摩擦・緊張・不穏当さの中で,学問の担い手は自己の学問を発展させていくのではないか? いたずらに平穏であり波風も立たず,おとなしい学生・教員ばかりの大学では「真の学問」は育まれないのではあるまいか? 年齢から察するに裁判長・右陪席は恐らく学生運動を体験されたり見聞きした世代であろう。大学には立て看があり,活動家がビラを配ったりアジ演説をしていたのではなかろうか?
 私は,裁判官に訴える。そのような,喧噪・熱情・雑多な思想・表現の中で,あなた方は,自己の思想・信条・学問を錬成,発展させてきたのではないか?
 検察官は,「大学構外での表現活動を禁止するものではない」と主張するが,大学構内においてこそ,表現活動は,最大限尊重されるべきものなのである。

 被告人武藤君の行為は,大学の本分たる学問の自由・表現の自由を害するものではなく,むしろ,これに寄与するものであり,憲法上の見地から見て,賞賛されるべきことであり,犯罪として指弾される謂われは少しもない。