死刑判決全員一致は無理がある(裁判員)
新聞やネットで報道されているが,当新潟県弁護士会は,「裁判員と死刑判決」について,下記のような総会決議を可決した。
http://mainichi.jp/select/jiken/saibanin/news/20090522k0000m040030000c.html
裁判員制度:「死刑判決は全員一致で」新潟県弁護士会
新潟県弁護士会(和田光弘会長)は21日、裁判員裁判の死刑判決について、裁判官と裁判員による評議で多数決によって決めるとしていることに反対し、全員一致となるまで慎重に評議するよう求める決議を発表した。死刑制度の見直しも求め、国に送付した。
仮に裁判員制度が始まった際は,このような全員一致は望ましいように思える。この決議に賛成すべきか反対すべきかは,かなり迷った(若手副会長からオルグの電話があった。その前に和田会長から電話があったのだが,同会長は三条者(サンジョウモン)でアムネスティ役員なので,議論をするとたいてい私の方が負けるので,外出していたことにしていた)。
いろいろ迷った末に,以下のような意見書を弁護士会事務局に送付した。
総会決議に関する意見
2009/05/19会員 Barl-Karth
24−2議案(「裁判員制度の下における死刑判決は,全員一致を要する」)に反対します。
下記のような深刻な事例が発生する可能性があるからです。別にカトリックのシスターに限らず,町内会・職場・家庭においていくらでもあり得る事態です。http://d.hatena.ne.jp/antonian/searchdiary?word=%ba%db%c8%bd%b0%f7
陪審制を採択するアメリカで起きた話である。あるシスターが陪審員として裁判に臨んだ。そしてその判決は「死刑」であった。アメリカの裁判制度では日本の多数決制度と違い、陪審員の全員一致が前提である(ただしこれは以前の話で、現代では州ごとに違い多数決制を採っているところもある)。全員一致ということはつまり件のシスターは死刑に票を投じたことになる。のちにこのシスターが陪審員に加わっていたということがばれて、これはスキャンダルとなった。聖職にあるものが死刑に票を投じたというニュースは俗な人々の正義と倫理原理主義をいたく刺激したようで糾弾されたであろうことが想像出来る。お気の毒としかいいようがないのだが、やはり教会内では問題となるであろう。このシスターは「何故最後まで死刑回避を守らなかったのか?何故、説得を行えなかったのか?」などと部外者的になんでも言いたい放題にいわれたであろうことが想像出来るのである。
この意見書に沿って総会で発言したら,長老弁護士(元日弁連副会長)から「Barl先生の話もよく分かる。しかし,裁判員のプライバシーより,被告人の人権がずっと大事じゃないのだろうか?」と批判の意見をいただいた。長老先生は,根っからのヒューマニストなんだ(こう言う先生を「東大法学部リベラルヒューマニスト」という)。
結局70対20くらいの多数決で,決議は可決された。
その後,予定調和的に懇親会に場を移し「死刑判決全員一致」の件で雑談した。前副会長(やっぱり三条者)と一緒のテーブルだったのだが,
このひと←http://www.niigatagoudou-lo.jp/?p=184
「裁判員は,それくらいの覚悟で,その努めを果たさないといけない。」という意見だった。
「<死刑制度が存置される限りは,どう考えても死刑相当の事件>というのは確かにある。その法廷で裁判員を務めるおじさんおばさん一般市民が,評議の圧倒的多数意見に反対して,<無期懲役! 死刑反対!>なんていえるだろうか? 裁判員にそこまでの覚悟をせよというのも,過酷な話だろう。だからといって同調圧力に屈して,死刑判決に賛成したら,家族や隣近所から何を言われるか分からない。カトリック教会だと,下手をすると破門だ。この矛盾から,裁判員は逃れるすべがない。問題を突き詰めると一般市民を死刑判決に関与させるという制度自体が大問題なのだ。弥縫策としては,9名(裁判員+裁判官)中8名の賛成を死刑判決の要件すべき<誰が賛成・反対したか評議の秘密を守る>と言うことになるのだが。」
とか,うだうだ話し続けたが結論は出なかった。
(この稿続く予定)
札幌の猪野弁護士も「多数決には懸念」とのこと
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000000905260003