水俣病「救済」法案について

 以下に記す所感は,弁護団原告団らの意見を聞いたうえでのものではない。新潟水俣病第3次訴訟の団長である弁護士高島章の所感と考えてほしい。

1 なぜこの時期に?
 与党PT(園田博之座長)
によるいわゆる「救済法案」の動きは前々から承知していたし,新潟県庁に赴いた環境省職員からも説明を受けた。
 しかし,このたびの自民・民主の動きは,いかにも唐突なことであった。
 「なぜこの時期に? こんなに急いで?」というのが率直な感想である。
 水俣病「救済」問題は,もちろん何年も放置できることではないが,衆議院総選挙後の国会で,じっくり議論しても差し支えない問題だし,選挙や政局に関わる問題でもない。
 この点,いろいろな憶測ができるのだが,恐らく,<民主党政権下で,いわゆる「救済」法案を出すのは具合が悪い>ということだろう。
 社民・共産は,民主党の動きをどの程度牽制したのだろうか?

2 本件法案について,マスメディアに対して,種々コメントを発したものだが,本件法案で一番問題なのは,訴訟・認定申請の取り下げ(あるいは,「救済」後訴訟・認定申請をしない)ことを「救済」の条件としている点である。
 社民案は,このような条件を付しておらず,「これなら受け入れる余地もあるだろう(しかし,そんな大甘な案は難しいだろうな)」と思っていた。
 これは,水俣病の患者さんに「訴訟」か「(涙金による)救済」かの二者択一を迫るものである。このような「条件」は国民の裁判を受ける権利を侵害するものであるし,「涙金契約」は公序良俗違反である。

3 政治決着の悲劇
 自民党民主党も「歴史の教訓」というものをちっとも分かっていない。
 村山内閣(1995年)による水俣病政治決着の悲劇を政府は再びくりかえすつもりだろうか? 板東克彦先生や南熊三郎さんが化けて出てきても知らないからな。
 「生きているうちに救済を」というのが,新潟水俣病第2次訴訟のスローガンであった。南熊三郎さんが,板東先生に直訴した手紙もある。板東先生が,某先生(人格者として知られている)の説得を受け入れ,和解受諾した経緯を当職も知っている。
 260万円を「涙金」と評したのは,外ならぬ大石武一環境庁長官であった。
 その頃,熊本・水俣感には新幹線もなく,中村洋二郎先生とともに朝の5時に起きて,ローカル線に乗り,水俣市まで赴いたのだ。
 一連の事情を,私は,第2次訴訟弁護団員として見聞している。新潟水俣病第2次訴訟判決が言い渡された経緯も,修習生として,見聞している。いずれ写真撮影報告書とともに暴露するから覚悟しておけ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E6%AD%A6%E4%B8%80

 この政治決着を相当数の患者さんが涙ながらに受諾したのち,(2004年)関西訴訟判決が言い渡された。

http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/minamata-col001.html

 政治決着を受け入れた患者さんと,これを受け入れなかった患者さんとの間に悲劇的対立が生じたことは想像に難くない。
 ノーモアミナマタ(新潟水俣病第4次訴訟)の古手の代理人は,(以下省略)。

4 村山決着と状況が違う。
 村山内閣当時の政治決着と,今般の自民・民主政治決着策道とは,全然状況が違う。関西訴訟判決の後にこのような「救済」案を提示されても,これに乗る人はほとんどにない。

 だいたい「260万円」などという金額は,「入院なし 通院50日」くらいの交通事故と同じレベルで,人を馬鹿にしている。水俣病の患者さんは,みんな,40年以上病気に苦しんでいるのだよ。1日あたり5000円と見積もっても7300万円になる。
 このたびの救済案は,水俣病患者さんの苦しみを1日あたり178円で購おうとしているのであって,とんでもない話というほかない。


5 分社化
 チッソは,いわゆる救済事業を終えた後,消滅するらしい。チッソが消滅した後,訴訟や認定申請しても責任負担の主体が存在しないことになる。これは,かつての「国鉄分割民営化」と一緒ではないか?(この点は,後に論ずる)。


6 手帳

 手帳はどうするつもりだ? 環境省次官(この点も後に論ずる)。

7 筵旗
 皇居に筵旗を掲げてハンストするぞ コラ(後藤田)

(続く)