可視化への疑問(山下幸夫先生へ)

「取調の可視化」「取調の全面的可視化」と言われています。
 山下先生とツイッターで話したとおり,私は,「可視化」「全面的可視化」には,残念ながら,本質的に賛成できないのです。
 現在の捜査構造はどうでしょうか?
 原告(捜査側)が自分の家に被告を閉じ込めているわけです。被告を自分の家に監禁した上で,「俺の家にある取調室に来い」と言われたら,行くしかないですよね。たとえ,原告から「俺の家の取調室に来るかどうか,あくまでも君の自由だよ」と言われても,被告は困ってしまうでしょう。
 原告は,「原告の家の中の<留置室>」に閉じ込められ,留置管理官の温情により,ご飯を食べ,時々たばこを吸わせてもらえるのです。そして,取調官から,なだめられたり,教訓を垂れられたり,褒められたりして,「請求原因事実を認めませんか? まぁ,強制ではないですけどね」と慇懃な調子で被告を尋問するわけです。
 これが,「現実の捜査の構造」です。このような捜査の構造を変えない限り,「取調を可視化」しても,余り意味がないことのように思えます。たとえ,「全面的可視化」であってもです。
 <「被告が原告の家の狭い一室にに20日間も閉じ込められていること」そのこと自体が拷問です。拷問した上で,金玉を抜かれた被告が,しおらしい顔をして,取調室で任意を自白する。>それが,可視化なのではないでしょうか? 少なくとも,代用監獄を廃止しないで取調を可視化しても百害あって一利なしだろうと思います。
 もちろん私の考え方が,理想的に過ぎることは自覚しています。
 可視化に賛成の方,私の意見を批判してください。